最終章。
また、ソ連が崩壊して世界の構造が根本から変わろうとしている時、世界各国は冷戦後の生き方を模索していたが、日本だけは東京佐川急便事件、ゼネコン汚職、金丸脱税事件に目を奪われ、まったく世界を見ようとはしなかった。
アメリカが「ソ連に代わる次の脅威」を日本経済と定め、「日本経済封じ込め」の方策を議論していた時、日本は政治改革の議論に終始していたのである。
「政治とカネで日本は沈む」と私は思った。
「官僚主導からの脱却」を掲げて小沢民主党が3年前の参議院選挙に勝利した時、私は「小沢氏は必ず検察のターゲットになる」と予言した。これまでも官僚主導を脅かす政治家は「政治とカネ」のターゲットにざれてきたからである。
それが昨年、現実となった。東京地検が西松建設事件で小沢氏の秘書を逮捕し、同じ時期に大阪地検が郵便不正事件に着手した。こちらは民主党副代表石井一氏をターゲットにしていると見られた。
政権交代がかかった総選挙直前に捜査する検察など民主主義国ではあり得ない。
民主主義では国民が主権を行使する選挙が最も大事である。その選挙に影響を与える捜査をやることは国民主権をないがしろにすることである。私は民主主義を踏みにじる検察は解体されてしかるべきだと思った。
ところが、「検察は正義」のマインドコントロールで国民にはそれが分からない。単純に摘発された側を「悪」だと思い込む。そういう構造を変えない限りこの問題は終わらないのである。
民主党代表選挙で菅直人総理が、「政治とカネ」を持ち出した時、私は唖然とした。代表選の最中に最高裁が鈴木宗男氏の上告棄却を決めたのでさらに驚いた。
この時期の決定は政治的な効果を疑われる。司法がすべきことではない。
アメリカ人は日本を民主主義国と見ていない。司法とメディアが行政権力に従属しているからだとアメリカ人は言う。メディアは代表選挙の間中「菅優勢」を伝え、小沢氏が当選するはずのない環境が作られた。
アメリカ人の言う通りの日本の構造が民主党代表選挙であぶり出された。これは官僚主導を続けるか、国民主権をうち立てるかという問題である。
行政機関である検察に主権者である国民から選ばれた政治家が従属させられる構造は民主主義国家ではありえない。「検察は正義」ではなく、行政機関として正しい仕事をすれば良いのである。そして暴走しないように監視する体制を作ればよい。そのような構造に作り替えない限り、国家の損失は積み上げられていく。