「政治の手法」という言葉について。
政治の手法については賛成できない…最近、この言葉を何度か目にした…小沢一郎の政治の手法については賛成できないが、今回の検察審議会の件は…。
「政治の手法」とは何だろうか?政治とは、先ず選挙に勝ち、与党と成り、国力、国富の増大のために予算編成を成し遂げる…その際に、マイナスとなっている要因を取り除く事も敢行する=革新する。
それ以外に、手法などはないだろうし、それを達成するために大勢力を形成した時は、会社組織と同じ事で、目標の為に、全員一丸となって邁進する…この時に、どこかの阿呆の様に、各人が勝手な事を言う事が民主主義だ等と言いだしたら…会社は成り立たないだろう。
自由…それが大きければ大きいほど…自由と規律は明確なのである…アメリカで仕事をしたことがある人は、知っているはず。
規律の無い自由は、所詮、屁の様なものなのである…規律の無い所に自由はないと言っても過言ではない。
規律とは法律的な規律であるよりも…知性の規律と言った方が正しいだろう。
5時から以降は完全な自由=完全な言論の自由と、知性、行動の自由=だが、
9時から5時までは会社の規律=会社組織という名の知性の規律に完全に従う。
仕事中(オンタイム)は「それは、俺の管轄では無い…ボスに聞いてくれ」
仕事外(オフタイム)は「俺は俺、あなたは、あなた」
いやしくも言葉で飯を食っている者なら当然の事、一般の人であれ、抽象的な、大新聞の高説を読み、テレビを見続けて、植え付けられた=洗脳された言葉を、定義せずに、無用病者の様に使うべきではないと芥川は思う。