以下の文章は「梅棹忠夫 語る」聞き手・小山修三 からの抜粋です。
以下の文章は「梅棹忠夫 語る」聞き手・小山修三 からの抜粋ですが、
以前に、芥川賢治の頭脳は、梅棹忠夫大人(たいじん)と同じものであると書いた…その章を御参照下さい…ことを証明している文章です(笑)
ですから、どうぞ、読者の方がたは、芥川賢治は、本物のGiftedであると、確信して頂いて、僕の文章をお読みください(笑)…戦後、最も重要な作家の一人が誕生している瞬間に立ち会っているという、幸福を持ってお読みください。(呵々大笑)
小山 そのあと、ジャーナリズム側でも藤木高嶺さんや本多勝一さんのように記者が登場し、新聞社が自前で出すようになったんですね。それまでは記者をそんなところへ派遣するなんてなかったでしょう?
もとは、探検してきた学者の書いたものが必要で、これだけの資金を提供するから帰ってきたら書くようにと。梅棹さんは朝日新聞の係で、中尾さんが毎日新聞とか、手分けしていたそうですね。
梅棹 そうやったなあ。
木原均先生が当時、学術は朝日新聞、スポーツは毎日新聞と区別して、自分の息のかかった人を振り分けた。「お前は朝日」「お前は毎日」と。
小山 その後、テレビ、ラジオから離れてしまいましたね。
梅棹 いっさい放送に出演はしない。電波には乗らない。その点はひじょうにはっきりした。民博の開館のときにもさんざん言われたわ。「館長が出演しないとはどういうことだ」と。
小山 一番売れてたのに。花形スターが出ないというんじゃ、マスコミもつらいでしょう。でも「遠くから撮られるのはしかたがない」つて言ってましたね。
梅棹 ニュースとして撮られるのはしかたがない。しかし、出演はしない。
小山 でも、一時は脚本まで書いていたわけですからね。脚本っていったらおかしいけれど、さっきの国語講座とか。一時はそこまで深入りしているわけだから。
梅棹 電波を嫌うわけじゃない。出演はしないというだけや。
小山 なんでそう決めるのか。むなしさみたいなものを感じるんですが。
梅棹 具体的ないきさつとしては、一緒に出演した子どもがひじょうに悪くなっていく。これは放送は人間を悪くする。子どもはまるで英雄みたいになっていくんやね。ひじょうに悪くなった。それで、こういうものは人間を悪くするから、自分はもうやめやと。