続き。
この記述には若干、補足説明が必要だろう。
亀谷が相談役に就いていた五代目山口組「二代目佐藤組」(当時)の本部長だったYは95年末、岡山地裁で詐欺の罪で懲役1年6ヵ月、執行猶予3年の有罪判決を受けた。その後、Yは98年に岡山で暴行事件、さらに99年には大阪で暴行、監禁事件を起こしており、それぞれ逮捕状が出ていた。
2件の事件で、実刑になることを恐れていたYは亀谷に、最初の詐欺事件の執行猶予期間が切れるのはいつなのか、そして、その後の事件の捜査がどんな状況なのか、三井に聞いてもらうよう依頼したというのだ。
ところが、Tを通じて返ってきた三井からの回答はこんなものだったという。
〈Tからのメールで、三井の返事は、例えば「何かの事件(犯罪)なら、時効は何年」といった、六法全書でも分かる程度のありきたりのもので、大阪の事件のことも「分からん」と言ったといい、Tもメールに「三井は役に立ちまへんなI」と打っていた〉
亀谷の手記からは、この三井からの回答は、接待の見返りーすなわち収賄罪の根幹を成す「職務権限を利用した便宜供与」と認識していた様子は微塵もうかがえない。
実際、三井は公判でも一貫してこう主張していた。
〈Tに対し「時効はその犯罪行為が終わった時から進行する。時効は特別なことがないと停止しない。逮捕状の発付の件は教えるわけにはいかない。時効のことなど考えずに早く出頭してください」などと言った。時効については教科書に書いてあるようなことを言っただけであり、逮捕状の発付については最初から教えるつもりはなかった〉
この三井の主張と、亀谷の獄中手記に記された証言は見事に一致する。野口の取り調べに対しても、亀谷は当初、手記のとおり供述したという。
握りつぶされたTからのメール
ところが、このころには、Tだけでなく、Yまでもが既に特捜部の、“協力者”になっており、検察のストーリーに合った供述をしていたようなのだ。
〈野口が「Tさんと、Yさんの(「捜査情報の照会」に関する)調書は合っていて、違うのは会長だけや」と言ってきた〉
ここで、マンションを巡って三井に対して悪感情を抱いていた亀谷は、〈三井の事でもあり、「ええか」と思い、「2人の調書に合わせといてくれ」と調書
を取らせた〉という。
が、これについて亀谷は後に手記の中で 〈野口にハメられた〉と綴っている。
そしてストーリーどおりの調書が取れたことに満足した野口は、亀谷に三つ尋ねたというのだ。
〈(役に立たなかったという)Tからのメールのくだりで、野口は「会長の携帯はもうないんでしょ?」、「川かどっかへ捨てたんでしょ?」、「(携帯が)出たら、(野口自身が)手にできるんでしょ?」としきりに聞いていた〉