「長崎の鐘」

戦争をきちんと清算できなかった国で、なまじ、政治家になったり、それを相手にして人生を送って来た大新聞の論説員たちは、哀れかな。

 

貴方たちは、数え切れない罪を重ね続けて人生を終える訳ですから。

 

そんな貴方がたのために、芥川に出来ることは、北新地で3番目に上手いと評された(自称)…1番、2番のいない3番目と言い続けて来た(笑)…歌手として「長崎の鐘」をsuperflyに負けない、声で、朗々と歌って上げること位だ。

 

どんなに凄いかって…昔、とても親しくしていた電通のSさんに誘われて、長崎の福江島に行った時のこと…なんとか王国という、当時流行りだった、小さなスケールのリゾート村と言えば良いか…広い体育館のようなレストランで、4人で食事をしていた…そこに立派なステージがあったのです…食後の、楽しい酒の中で…僕の歌の素晴らしさを知っている(笑)Sさんが、僕に歌を所望した…仕方なくステージに上がった時、無数のレパートリーの中から、瞬時に、浮かんだのが「長崎の鐘」だった…

 

昼の内に、福江島の教会を訪ね、たたずんだり…ご存じの様に、キリシタン弾圧が苛烈を極めた島です…や、遣隋使か遣唐使たちが、最後に寄ったという、寺から海を眺めたりしていた。

 

その時の芥川の歌は、僕の人生の中でも、一番、良かったと我ながら思った出来栄え(笑)…それが本当に素晴らしかった証拠に、歌い終わった後に、姿が見えなかった厨房の人たちから、万雷の拍手(笑)が期せずして湧き起こったほど。

 

それだけではなく、芥川の人生で、ただ一度の、亡霊との遭遇まで、もたらしたほどの歌だった…その王国は、コテージが宿泊施設…そこで寝ていた芥川の元に、真夜中に、聞こえて来たものは…コツ、コツ、コツという足音。

目が覚めた僕は、驚いた…古代の兵士の様な格好をした武者が一人、立っているではありませんか…不思議と怖さはなかったが、体は動かない。

 

そんなキリシタンなのか、武士なのか…いずれにしても芥川が亡霊に遭遇したのは、後にも先にも、この時だけ。

 

きっと無念のうちに死んだ誰かの魂に届いたのだと、僕は思ったのです。

 

その歌を、哀れなあなたがたに贈る。 何故?貴方がたは、その生活においては芥川より、楽な暮らしをしていると思うが、或いは世間的な名声の中に在ると、思っていらっしゃるだろうが、

 

最も、罪深く哀れなひとたちだと、芥川は思うからだ。

 

©芥川賢治

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


上の計算式の答えを入力してください