くりきんとんのTさんからの続き。

誰に取っても、どの国の人にとっても、たった一度の人生なのに、どうして、私たちは、叡智の中で生きられないのでしょうか?叡智が実現されることが少ないから、毎日、毎日、マスメディアは大騒ぎしているはすだと思うのだが、だけど、体制に属した人たち、個・個人の生活は、皆、幸せのはず。

 

この間には、なにか大きな間違い、大きな嘘があるのだと、僕は思う。

 

サルでも東大には入れる、或いは、僕が家庭教師なら、入れるようにする…これは、僕の周囲の人に、しばしば言って来た事でした。

 

サルでも東大生にはなれるが、サルは動物ですから…己のエゴイズム…生き延びるエゴイズム、自分の子供だけを残そうとするエゴイズム、ボスに成りたいエゴイズムしか持ちえない…「世界精神のひとかけら」自分も所詮、宇宙の塵である等と考える事はできない訳です。…ひょっとしたら考えているかも知れないが。

 

本質は下らないエゴイズムを…もっともらしく報道、放映する、何にも自分の目で見ていない、確かめていない…検証していない…おためごかしの追従があり、ここに大きな嘘が生じる、それが世界の現実なのではないか。

 

だから叡智では動かない…ギリギリの際まで行って初めて叡智が働くような阿呆を、人間はくり返し続けているのではないか。

 

だからこそ、芥川は、人間にとって一番大事なのは、経済ではなく、ほんとうは、芸術なんじゃないかと思う。

 

日本に芸術があるかって…テレビを通して現れるものは、ただの経済=商業主義。その他にしたって、芥川が繰り返し指摘した大人(たいじん)たち以外は、ただの蜃気楼…何故?そこに在る本質的な病を糾さない芸術なんてある訳がないからだ…幾ら美辞麗句を並べても、それもまた、経済=商売なのだ。

 

©芥川賢治

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