「日本はアジアではない。」…。
梅棹忠夫大人が言った「日本とヨーロッパは一緒」に、芥川も全く同感。
ハワイで出会い、一生の親友と成ったフランス人女性のことを書いた章を御参照下さい。
たいじんの前述の本を読んで…最初にイタリアに行った時のことを思い出した…僕の同級生には、子供が二人いた…小学生と中学生だった…「何とか小学生」と中学生の雑誌から始まり、納豆やら辛子明太子やら、スーツケースの中は、全て、彼の家族への土産ものだった。
パンツすら、持って行かなかった…これからファッションの王国へ行くのだから、向こうで買えば良いとして。
彼の家で、再会を喜んだあとに、直ぐ様、彼の奥さんの案内で、地元…ローマ郊外の町…日本で言えば、芦屋の様な所…いかにもイタリアの町なみの中に、結構大きな、洒落た店があった…店員さんも結構いる店だった…あれこれ選んでいる内に、一人の店員さんに目がとまった。
「失礼だけど、君は、ジュリエッタ・マシーナに似ているね」と、僕が言ったら、全員が「ジュリエッタ・マシーナ」と、声を上げて、僕らの方を見た。
芥川の想像以上に、ジュリエッタ・マシーナは全国民から愛されているイタリアの至宝だった訳である。
滞在中に必要な全部の買い物を終えた、レジの場所でのこと…ここの経営者の旦那とは、彼の家族は親しい間柄…旦那が、彼女に聞いた「○○○、この間、書いてくれた和歌は、どんな意味か、教えてくれない」
「ひさかたの ひかりのどけき はるのひに しずこころなく はなのちるらん」のことだった。…彼女は見事な達筆で、書きながら、その意味を説明した。
その後だった、この典型的なイタリア親父は、完璧に、この歌の心情を理解して、「モルト…(この後に、心に沁みるという意味のイタリア語を言った。そして、モルト、ベリーッシモ)と叫んだのである。
僕は、つくづく、イタリア人と日本人の感性は一緒だと思った。