大混雑も厭わずに、京都という町…わたしたちのディーセンシーの故郷に、何度でも会いに行くのである。

管氏とぬえについて…僕は管氏を全く否定してはいない…戦前や、僕が何度も指摘する自民党の田舎政治屋たちに比べれば、ずっとマシなのだ。

問題は、彼のぬえ性…他者の意見を、翌日には平気で自分の考えであるかのように言う所…政治家は、そういうものだというレベルを超えていると芥川は代表選の時に感じた。政治家であれ、学者、芸術家であれ、他者の意見や哲学を、無断で剽窃してはいけない…というよりも、己の確固たる哲学、思想がなければ、どの分野でも一流にはなれないだろう。

 

管氏は、そういう思念の人の補佐役に廻って、十二分な研鑽を積んでから、首相になるべきだった…政治は、生やさしいものではないから余計にそうなのだ…政治に、世間的な若さの概念なんかは全く関係がないことを、この2カ月は、日本中に知らしめもした…政治の世界では、昔から言われて来たように、5060は洟垂れ小僧なのだ…今の低能の極のようなマスコミ…若けりゃ阿呆でも良い、見栄えさへ良けりゃ、口が達者であれば良い等と言う世界の、対極にあるのが、真実の世界であり、政治の世界なのだから。

 

僕が星氏について、一体、何様だと思っているんだと言及するのは、小沢一郎氏、或いは、氏に投票した200人超の議員たちは、民主党への期待と共に、国民に選挙された訳である。

 

一度も、選挙の洗礼を受けた訳でもない、主に記者クラブを自分の人生としてきた人間が、かれらの意見を全く無視して、除名しろ、それが嫌なら出て行け等と言う論説をなすとは、一体、何様のつもりだ、と言う事なのだ。

 

それに、僕は、彼に、明瞭に言ってやりたいのだ…日本は、あんたなんかでは全く成り立っていないこと…あなたが無視している民…一人ひとりの民…休日に、日本中から、その美を愛でるために京都に集っている無数の人達の暮らし…そのディーセンシィで成り立っているのだという事を。

 

付け加えれば、この人達の年収は、一生働いて五百万円。貴方の様に、軽く年収1,000万円超の人間ではないのである。

 

人混みが嫌だから京都には行かない、だとか、行く時は、しかるべきインテリ達と一緒に行く、或いは、そこに居る、結構なお仲間たちと歓談する…そのような結構毛だらけな人生とは全く無縁で、ただ、自分のそばにいてくれる、いてくれた人間たち…友人であったり、恋人であったり、家族であったりしてくれている人間たちと…皆、同じ気持ちでいることを知りぬいて、大混雑も厭わずに、京都という町…わたしたちのディーセンシーの故郷に、何度でも会いに行くのである。

©芥川賢治

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