大新聞の論説委員たちや、テレビの報道部門で重鎮面をしている人たちこそ、政治家になるべきなのである。
前にも言及したことだが、大新聞の論説委員たちや、テレビの報道部門で重鎮面をしている人たちこそ、政治家になるべきなのである。
彼らが政治家に成れば、日本は、誤謬無しの国になることは請け合いではないか。
かつて、日本の最高のエリートが、大蔵省を目指し、主計局長という頂点を極めた後に、殆ど、全ての者が、為政者の道へ向かった様に。
ただ、芥川は思うのだ…彼らは、そのようには、多分、成れないだろうな、と。
何故?…政治を語って得てきた、己の高給、会社における重鎮としての己のポジション…一般労働者には住めない住宅地に、結構な家を構えて、平均4人家族の幸せな暮らし。
これを捨てて、寒士となる勇気は、彼らにはないだろう。
ならば、なおの事、今の様な高説、官製情報に基づいた正論を、国民の代弁者の如くに書くのは、正しいことだろうか。
政治家に成るという事は、先ず、お金が要る事になるからだ…かつて、財閥であった藤山愛一郎氏が、政治家に成った事に依って、その財産の大半を失った様に。
鳩山由紀夫氏は、藤山氏以上の、日本有数の大財閥に生まれたから、財産を失ってはいないだけで、これまでに政治に費やしたお金は、半端なものではないことも周知の事実。
古今東西、金のかからない政治なんて、あったためしはないのだ。
共産党の一党独裁政治は、金がかからないのかどうかは知らぬが、金がかからないとしても…その代り、人間に取って、もっとも大事な自由を、代償としていることは、もはや歴史的な事実。
派閥として行動する時の団結などは、自由の喪失などとは全く関係がない。
根本的な、人間としての自由が最初からない共産党一党独裁政治と、
派閥の締め付け等と評される事を混同する事もまた、全くの間違い。
テレビの前で、床屋の政治談議や、青二才の正論を述べたりする事は、民主主義とは、全く関係がないこと。