地湧(じゆ)の人には、試練がつきもの。

今すぐにでも書くことに専念したい…死ぬまで、毎日…私にしか書けない文章を書き続けるエネルギーと想いが充満しているのですが…。

神様は、まだまだ試練を与えなさるようです…もう僕には、この試練に、どんな意味があるのか?と、問いたいぐらいなのですが。

多分、その答えは…ほんとうの真実を語る者、この世を確かに変えるものには、平穏はないのだ、とでもいうことでしょうか。

宮沢賢治の様に、絶えざる苦しみと試練の中で、永遠に残る、阿修羅の言葉を書いて行くしかないのだ、と、神様は言うのだろう。

私の文章は、世界有数のリゾートに滞在して、書き上げる様な訳には、終にいかないのだ…ベートーベンとは全く違う意味での諦念…決断。

「何時の時代でも…は、寒士なのだ」…寒士として生きてきた者の宿命。

たった一つの願いは、例えば、小学館が、「Kisaraさん、出版しましょう」と言って来てくれること…僕は、無限に、私のものでしかない発想と、私のものでしかない魂と、私のものでしかない文章を、書き続ける事ができるのだから。

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