時に、芥川殿…。
お主が40数年ぶりに此処を訪れて思った事とは、そのウィキペディアを借りて言えばこのことではなかlったのかのう。
徳川家康は、織田信長と同盟し、豊臣秀吉に臣従した後、日本全国を支配する体制を確立して、15世紀後半に起こった応仁の乱から100年以上も続いた戦乱の時代(戦国時代、安土桃山時代)に終止符を打った。家康がその礎を築いた江戸幕府を中心とする統治体制は、後に幕藩体制と称され、17世紀初めから19世紀後半に至るまで264年間続く江戸時代を画した。
しかして、お主が所謂ピーンと来たこと、それゆえに、わしがお主の前に姿を現し対話を始めたのは、このことじゃろう。…元和元年(1615年)、家康は禁中並公家諸法度を制定して、朝幕関係を規定した。また、諸大名統制のために武家諸法度・一国一城令が制定された。こうして、徳川氏による日本全域の支配を実現し、徳川氏264年の天下を安泰なものとした。
そうじゃ。
やっぱりのう、わしは貴殿ほど端倪(たんげい)すべからざる眼差しを持った人間は滅多に会わなんだぞ。わしの時代で言えば信長殿、秀吉殿、そしてわし(笑)、武田殿、伊達殿…。
家康殿、わしは伊達殿の国に生まれたのじや。 やっぱりそうじゃったか。貴殿こそは独眼竜正宗公の再来ではないかとにらんでおったのじゃ(呵々大笑)。
