続けてくだされ。芥川殿。

しかし、渡海を免除されたのは家康だけではなく、一部の例外を除くと東国の大名は名護屋残留であった。
文禄4年(1595年)7月に「秀次事件」が起きた。この豊臣政権を揺るがす大事件を受けて、秀吉は諸大名に上洛を命じ、事態の鎮静化を図った。家康も秀吉の命で上洛したが、これ以降は開発途上の居城・江戸城よりも伏見城に滞在する期間が長くなった。豊臣政権における家康の立場が高まっていたのは明らかだが、家康自身も政権の中枢に身を置くことにより中央政権の政治システムを直接学ぶことになった。

 

1月6日、二条城にて。午後3時過ぎ。

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