2011年1月20日 / 最終更新日 : 2011年1月20日 文明のターンテーブル 日記 さて、家康殿。 最晩年を迎えていた家康にとって豊臣氏は最大の脅威であり続けた。一大名の位置に転落したとはいえ、なお特別の地位を保持しており、実質的には徳川氏の支配下には編入されておらず、西国に配置した東軍の大名は殆ど豊臣恩顧の大名であった。また、家康の将軍宣下時には、秀頼が同時に関白に任官されるとの風説が当然のこととして受け取られており、秀忠の将軍宣下時には、秀頼は秀忠(内大臣)を上回る右大臣に昇進している。 FacebookXBlueskyHatenaCopy コメントを残すメールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目ですコメント ※ 上の計算式の答えを入力してください 名前 メール サイト 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。 Δ