前にも何度も書きましたがニューズ・ウィークが、たったの9万部では、いかんと芥川は思う
客観報道という「欺臓」
権力とのなれ合いの最たる例が、検察とメディアの関係だ。
…中略
時にリーク情報というアメを渡しながら、検察は記者をほぽ完全にコントロールしてきた。
…中略
そもそもジャーナリストが完全に客観的である必要はない。取材対象の取捨選択や質問の仕方に既に主観は入り込んでおり、完全に客観的な報道をするのは不可能だ。その代わり記者はフェアでなければならない。しかし日本の新聞記者は客観性を標榜する一方で、フェアになることを忘れている。
フェアネスの欠如がはっきり表れているのが、鈴木宗男から小沢一郎まで、事件やスキャンダルに巻き込まれた政治家を一方的に血祭りに上げるバッシング報道だ。
「権力を監視する」という大義名分の下、水に落ちた犬をたたけとばかりに批判報道の洪水を起こし、各紙は付和雷同的に雪崩を打って世間の空気に流された紙面を作り上げる。思考力のある一部記者の「異論」は、それが正論であっても押し流されてしまう。
…後略。