高台寺…。
豊臣秀吉が病死したのは 慶長3年(1598年)であった。秀吉の正室である北政所(ねね、出家後は高台院湖月尼)は秀吉の菩提を弔うための寺院の建立を発願し、当初は北政所の実母・朝日局が眠る康徳寺(京都の寺町にあった)をそれに充てようとしたが、手狭であったため、東山の現在地に新たな寺院を建立することになった。
秀吉没後の権力者となった徳川家康は、北政所を手厚く扱い、配下の武士たちを高台寺の普請担当に任命した。中でも普請掛・堀直政の働きは大きかったようで、高台寺の開山堂には直政の木像が祀られている。…ウィキペディアより。
全く、これはしたり。近日中に何が何でも行って参るぞ。…行ってじゃ、秀吉殿、ねね殿、そして貴殿を、心から偲びたいと思っておるのじゃ。
いやはや、全く、芥川殿は、「なんとかと何とかは紙一重」、の典型の様な人じゃのぉ。まさに、1.2億人の中に、おみゃーさんの様な粗忽者は、何処さぎゃーしても、おらせんぞ。(笑)