秋山駿氏の素晴らしい本、「信長」、を読みながら…。
芥川が長い間の週刊朝日の購読者であることは既述の通り。ここで本当に長い間、司馬遼太郎の連載が為されているのです。芥川も最初から在る時期までは毎回欠かさず読んでいたが、愈々、芥川が書くべき時が近づいて来ているぞと思いだした頃に、僕は、「司馬遼太郎の意気地なし」、と言う戯文を書いたのです。何故か?その理由も既に書いたと思うのですが、彼が作家として書き出す契機は、運良く戦場から生きて帰って来た時、「もし信長の様な人間が統治者だったならば、このような戦争をしただろうか」、という疑問からだったのです。
日本中の多くの人が彼の本を読んでいる時、ただの1冊も読んでいない、読もうとしない人間も、1.2億人に一人の21世紀の空海として登場して来た芥川に相応しいでしょう。司馬氏とは何かの縁は有ったのでしょうが…ホテルオークラのバーで芥川は二度も似たような状況で、彼に遭遇した事があるのです。1時間ぐらいは、同じ部屋に居たのですから、一度ならまだしも大阪在住の僕が、二度も、その様にして遇うのは普通ではない。
芥川の戯文が戯文ではないことは、読者の方の中に端倪すべからざる人がいたならば、既にお分かりだとは思うが、誰の目にも明らかなように、この1年前後の内に、芥川は脳裏に出来上がっていた形態ではなかった、「文明のターンテーブル」、を、そのまま発展継承させて、日本中の人が誰でも理解できる形で明らかにします。