両足院からお饅頭へ。
塩瀬の始祖・林淨因は、主に寺院を対象に、奈良でお饅頭商いを始めました。
淨因は、中国で肉を詰めて食べる「饅頭(マントゥ)」にヒントを得て、肉食が許されない僧侶のために、小豆を煮つめ、甘葛の甘味と塩味を加えて餡を作り、これを皮に包んで蒸し上げました。お饅頭の、ふわふわとした皮の柔らかさ、小豆餡のほのかな甘さが、寺院に集う上流階級に大評判となりました。
当時、日本の甘味には柿や栗の干したもの、お餅に小豆の呉汁をつけるお汁粉の元祖のようなものしかありませんでしたので、画期的なお菓子の誕生ということになりました。
日本人は昔から豆類を多く摂取し、小豆好きであったことから、餡饅頭は好評を博したのだと考えられます。
淨因のお饅頭は、後村上天皇に献上されるまでになります。天皇はお饅頭を大変喜んで淨因を寵遇し、宮女を賜りました。当時、一商人が宮女を下賜されるということは、特別の栄誉でありました。結婚に際し、淨因は紅白饅頭を諸方に贈り、子孫繁栄を願って大きな石の下に埋めました。これが「饅頭塚」として、林淨因が祀られている林神社に残されています。今日、嫁入りや祝い事に紅白饅頭を配る習慣は、ここより出ているものです。
それから幾代か経て、商いの場は京都に移ります。林淨因の子孫、紹絆は、中国で製菓を修得後日本に帰り、中国の宮廷菓子に学び、山芋をこねて作る「薯蕷饅頭」を売り出しました。この「薯蕷饅頭」が現代塩瀬に伝わるお饅頭の元となりました。
http://www.shiose.co.jp/shiose_history.html から。