「感覚」をウィキペディアで確かめてみたら、驚いたことに…。
芥川にとって、京都は第二の故郷だった時期が在ったから、そうでない人よりは、若い時分に京都の街を歩いた時間と記憶が在った訳です。
この4カ月で50回前後の訪問となったでしょう…先ずは記憶を辿って、特に、庭を見尽くす作業を開始した…途中から必然的にウィキペディアで確かめる作業が始まった。
昨夜、…今日にでも…3月15日号までは、100%書き下ろしではない事へのお詫び(笑)として、芥川の写真=芥川の魂をアップします作業の一環(笑)として…知恩院の入口直ぐの右側に在る友禅苑を掲載する前に、確かめてみて驚いた…2月12日で12月26日に続く2度目だったのに、僕は、その事を知りもしなかった…知らなかった事には、一つの事を除いて何の後悔もないのだが。
何と、この庭園は昭和29年に改修造園されたものだと…京都の庭師達に伝承された技術は大したものです…あの庭の真ん中ほどに在る銅像…右手に筆を持っている人物像…僕は、知恩院に関係のある文芸関係の人なのだろうと思っていて別に気にもとめていなかったのだが…この人物は友禅織の始祖とされていると言う宮崎友禅さんだった。
それは別に良いのだが(こんな事を言うと友禅織の関係者から怒られそうですが)、一つだけ、あちゃー、と思った事があるのです…この庭に入ると直ぐに池が在り、その池の真ん中に石塔が在るのですが、芥川は、この塔が邪魔だった(笑)…元々、僕は、このような塔が嫌いなのですね…極端に言うと、「感覚的な嫌悪感」、を常に感じていた。
家康殿と無二の契りを交わしてからは(笑)…例えば、何処かの庭に在る7重の石塔は信長殿の弟が供養のために建てたものである等とウィキペディアで知ってから、その嫌悪感は薄れていたのですが、やっぱり好きではないのですね。
この庭は、とても良い庭なのです…沢山の写真を撮ったのに、只の一枚にも、それは、入っていなかった…一枚だけ、あっ、良かった、これには入っているのではと思って見てみたら、見事に、その部分だけはカットしていた(笑)
この池の真ん中の大きな石塔のてっぺんには高村光雲の聖観音菩薩像が在るのだと。あちゃー。それなら…しかして、もう一度、訪れる事も決定した訳ですが(笑)…この部分だけ見事にカットした一枚だった。