愛知県出身で知人の方が信長殿ゆかりの…。
事が書いてある物をプレゼントしてくれた…津島神社にまつわる本…その中から、抜粋します。 黒字化は芥川。
…前略
『海道記』は、京都から鎌倉へ向かう旅行を書きつづられた紀行文です。作者はわかってはいませんが、伊勢路や木曽川など、私たちの住む地域となじみのある場所を歩きました。作者は津島も訪れています。貞応2年(1223)4月7日「津島の渡り」と題して、1 3世紀の津島の様子が書かれています。「川沿いの高地の上に農家があり、桑畑に囲まれた家ではもじゃもじゃ髪の女の人が蚕を飼い、畑では老い衰えた老人が鍬を使って農作業をしている。子どもが足を泥だらけにして、これを手伝っている」と記しています。当時の津島の厳しい農民の生活がわかります。 1 3世紀前半の津島は、渡り(湊)でしたが、桑畑のある農家が点々と建っていた農村でした。船の停泊所はありましたが、宿場や市場などはありませんでした。…後略。
芥川が何度か書いてきた精神年齢13歳と言う事について、上記の部分もまた歴史的な事実を教えてくれると思うからなのです。
御存じの様に、男は15歳で元服=大人に成り、女は、千姫の様に、9歳にして嫁に行った…一方、苦しい生活を強いられていた農民は上記の既述に明らかなように、子供の時から働いていた。
つまり、明治維新までは、日本には精神年齢13歳と言う有り様は存在していなかったということを、マスコミ関係者…特にテレビに関係している人たちは、きちんと知っておいた方が良いと芥川は思う。
何故?…子供は迎合されて育つものではないのだ、ということを一刻も早く知るべしだからだ。