世界中の資本主義テロリスト達も、今は、ただ祈って欲しい。

阪神大震災の時も時間の経過とともに、死者数がどんどん増えてきて最終的には6,400人超だった。
同じ様な事になるのではあるまいな。
帰宅して見たのは、高校生時分の私の、もう一人の無二の親友だったO君の実家が在る気仙沼と、岩手の八戸に津波が押し寄せている映像だった。
えらいことだが何とか持ちこたえている、良かった、と思って見ていたら、名取川の映像が同時間で現れた。
最初は私が生まれ育った町の川向かいの映像だった。
私が中学を卒業した頃に完成した当時は新しい橋…仙台に向かうのに大幅に時間が短縮できる様になった…の手前まで、全ての家や車を呑み込んだ津波が押し寄せていた。
橋の上には数台の車が我が町の方に向かっていた…危ないんじゃないかと思って見ていたら、あっという間に橋を乗り越えた津波に、みな、流されてしまった。

その後だった。
カメラが手前にスパンして来た時、僕は言葉を失った…
自分が生まれ育った町が全て津波に呑み込まれ、中学校、そして、ずっと北に在る小学校まで呑み込んでしまった。
海辺からあそこまでは5km以上はあるはず。…さっきの放送では海辺から10kmも離れた仙台・区役所の1階まで津波が到達していると。

阪神大震災の時の様に、時間が経つにつれて、幾何級数的に死者が増えない事を祈るのみ。
東京に居る親友のKさん。
Kさんの母校のヨット部が定期的に合宿をしてくれていた…貴方も参加して…
私の故郷は、一瞬にして、見た事もないようなCatastropheで消えてしまった。
子供の頃、チリ地震津波や三陸津波を記憶する石碑を見た事はある。
港の界面すれすれに、津波が来たのを見た事もある。

でも、こんな映像は誰も見た事がなかった。
ただ、そこは私が生まれ育った町だった。
私たちの国が20年超も馬鹿な事ばかりやり続けて来たから神が怒ったのか。
何にも罪のない人たちが、実は、皆、避難した後の映像であることを祈るのみ。

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