鎮魂歌。

子供の頃、夏が待ち遠しかった。辛い家庭に育った子供には、毎日が青空の夏が待ち遠しかったのだ。毎日が泳ぎ。だから47回もハワイに行ったのだろう。
長谷工のペエペエ社員だった時は、夏は水着とタオルを持って会社に行っていた。必ず時間を作って扇町公園に在った大阪プール…競泳大会用のスタンド付きの50m×8レーンの屋外プール。
隣には大会開催用の飛び込みプールを併設されていた。勿論、水深は深いから足は着かない。

命知らずの悪ガキたちは平気で遥か遠くまで泳いで行くのだが、私は、いつも、或る時点で、説明の着かない恐怖を感じて、そこから先には行かなかった…
本能的に…使命を果たすまでは死ねない…君子危うきに近寄らず。

私の海は波が荒い事で有名で、子供の頃は、仙台からの海水浴客が、毎年、一人は死んでいた。
数日後に港の魚市場のコンクリートの上に上げられていた、マンボウの様に膨れ上がった水死体を見た事もある。

コクトーか誰かが詩の中で書いていた言葉だが、水…温かい時には親しみを感じるが、冷たい時には孤独を感じる…
砂浜から直ぐの荒波を過ぎて沖合に泳ぎ出した或る地点で私が必ず感じていた感覚は、まさに、これだった。

説明のつかない孤独、殆ど恐怖に近い孤独…
わたしの海は貝の殻、海の響きを懐かしむ、というのは、海を見ている時の感覚。
砂浜での感覚なのだ。
遥かに沖合に出て行くと、一瞬、その感覚を強烈に感じるのだが、私は、何時も、その後に、底知れぬ恐怖を感じた…その地点で必ず引き返した。

これは何か不慮の事が起きても…足がつるとか…砂浜まで帰れる距離を本能的に測っていたとも言えるのだが。

その海が、昨日、誰も見た事がない創世記の様な姿を現して、私が生まれ育った町を湿舌を持った怪物の様にひとのみにしてしまった。

日付が変わって、私が通った小学校、中学校は無事で、そこで2,000人の人たちが、あたり一面の水びたしの中、救助を待っているとNHKが伝えた。

この場から飛んで行きたいと思っても私には何も出来ない。眠る事しかできない。3時間も眠らずに目を覚ました。
風呂に入った。出来る事は、ただ、こうして鎮魂歌を書くことだけだと。

今、小学校に、瓦礫をかき分けて自衛隊が救助に向かっている!と

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