小沢一郎とは、どんな人間か?

(文中敬称略)

思うに、この管直人と言うのは…星浩が道鏡よろしく持ち上げた嫁はん…朝日新聞紙上で大きく書いたのだ…の著作で、小沢一郎に対する畏敬の念を、率直に表した事に逆上して、小沢一郎と対決することだけの頭に成っているのではないか。仙谷由人に実務は任せて、自分は首相に居続けられればそれで良いとして。

全共闘運動が持っていた悪しき面…路線闘争に走って挙げ句に内部抗争…悲惨な殺し合い…何一つ、打ち倒したかった相手=自民党が、何処からどのようにして選ばれてくるのか=自分達の父母、祖父母が選んでいる政権だ言う根源的な問題、根本的な構造を変革しようとはせず…これを為すにはどぶ板選挙を地道に繰り返し、一生の仕事として選択しなければならぬからだ…当時は、当然ながら、全く、政治を志ざしてもいなかったし、彼らが進んだエリートとしての順風満帆の人生…年収1,000万円超が約束された生活の、正に、正反対に居て、毎日の食費を稼ぐために、東京の十条に在った、あっせん所に行って、毎日、土方の仕事をしたり、大日本印刷本社工場で徹夜勤務の労働をなしていたから、彼らに加わる事は全くなかったし、彼らの、自分達の帰る場所は確保されながらの、或いは、確保しながらの、「負けることが最初から分かっている戦を為す事の不純さ」、に与する事は、決してなかった。…冷やかに見ていたのだ。

勿論、ごく少数の者は帰る場所を失くした…4列目の管とは違って、彼は、彼らの最後の決戦場だった東大・安田講堂に籠った…当然、彼は逮捕された。

芥川の母校で理科系の首席に恒常的に居た男だ。芥川と彼が我らが母校を卒業してから再開したのは、これらの年から4,5年後、…無職の芥川が帰郷していた時の事だった
…場所は仙台職業安定所の階段、上って行く芥川の前に、下って来た彼が現れた。…何と言う再会だった事かは言うまでもない。

彼らが最初から…本気では、つまり自分の人生を掛けてなど、はなから考えていなかった根源的な、根本的な戦いを、その政治家人生40年超を掛けて成し遂げたのが、小沢一郎なのである。当然ながら、彼の元には、日本中から多額の政治献金が集まったのは無論。

だから彼ら…エリートとして国民の金で=税金で飯を食うだけではなく、死ぬまで日本最高給を取り続ける彼ら…根源的、根本的な戦いは、最初から放棄していた彼らは、
宮沢賢治が言った通りの…文字通り地涌(じゆう)の人として、北は北海道から、南は沖縄まで、この数十年間、…海の人、山の人、森の人、畑の人、田の人…つまり、地涌の人と対話し続けてきて、終に、地涌の勝利を掴んだ…人生を掛けた戦いに勝利した小沢一郎が、死ぬほど怖かったのである。

自分たちが、エリートとして労せずして得た、「死ぬまで己の家族安泰」或いは「死んでも家族安泰」と(本来はあってはならない)名誉が保証された生活、或いは人生を、…破壊する人、…地涌の人、真理の人として、終に、その姿を現した小沢一郎を死ぬほど恐れ、彼を葬ろうとしたのである…国民ではなく、自分達の生活を守るという、「下品」のために。

この2年間の、尋常ならざる迫害に…貴方がたならとうに、参っているだろう…小沢一郎が、微塵(みじん)も揺るがなかった、負けなかったのは、彼が、そういう地涌の人だったからである。

石原慎太郎は、「今回の事は天罰だ」と言って、物議を醸し、謝罪をした訳だが…彼は対象を間違ったのである。

自分も含めた…この20年超の日本の有り様…特に、この2年超の、小沢一郎に対して、反民主主義そのものの迫害を加え続けて来た、エゴイズムに満ちたエリート達に対して天罰が下ったのだ、と言えば良かったのだ…それは全く、その通りなのだから。

これまでの20年超の様な事を為して、最強の土建国家として守らねばならぬ災害列島日本を、何一つ、己の手を汚さずに、おためごかしを言い続け、自分の国土を守る事すら忘れて、ただわが世の春だけを、東京1極に集中して歌っていた、恥ずべきエリート達に、天罰が下ったのだ、と。

この20年超の様な事を為し続けたら、「日本は心身共に滅ぶぞ」、と。

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