別に前章のためにご紹介する訳では全くないが…昨日の朝日新聞beの続き。
岡田圭子さんシャープ執行役員
―会社が力を入れる部署を率いながら、家庭があり子どももいる。驚かれるでしょう。
20年以上前、今のような産休制度はありませんでしたから、産後2ヵ月で復帰しました。それまでは「不夜城」と言われた職場で気にせず「男並みに」残業していたのが一転、午後6時には帰らなければならなくなりました。
係長のころで部下は3人。毎朝、最初にその日にやるべき仕事を明確に指示し、私か途中で帰宅しても何をすべきかが分かるようにしました。毎月、毎週、毎日、それぞれの期間で何をするかを決め、毎朝8時半に確認するというやり方は今も続けています。
子どもを預けて働き始めてから、仕事ができる時間が「切られてしまう」という緊張感が生まれました。その分、時間の使い方の
精度が高まったと思います。
-ハンディキャップは?
あんまり感じません。会議などでは「女性の考えは?」とよく聞かれます。男性より発言の機会が多く、得したのかもしれません。
組織にとっては女性が交じることで、同じタイプの人が集まっているよりも組織の幅が生まれ、議論の幅も広がります。議論の結論の完成度も高まります。
そもそもなぜメーカーに。
ずっと仕事をしたいと中学生の頃から思っていました。絵の先生に、仕事をするなら工業デザインを学べと勧められました。でも就職活動を始め、がくぜんとしました。当時、多くのメーカーは女性デザイナーを採用していなかった。その中でシャープは女性を採用していた。10年選手の女性がばりばり働いていました。
-入社直後はデザイン部門。その後、商品企画が長いですね。
ユーザーがどういうものを欲しいかを考え、使いやすくデザインしていく。これは大学で学んだことでした。しかし、最初はどう新しい商品を考えればいいのかさえ分かりませんでした。
1985年に生活ソフトセンターが新設され、初代メンバーになりました。豊かさを実現したあとの「成熟の時代」に、消費者に潜在するニーズを捉え、新商品を作ろうという組織でした。
80年代半ばは職業を持った既婚女性が50%を超えた時代です。仮説として家事のスタイルは変わるはず、と考えました。「センスリーダーと名付けた社外の女性を集めて、仕事帰りの夜7時ぐらいから話を聞きました。調査会社に任せず、自分たちで直接、消費者の声を聞くという試みは当時、業界初だったと思います。
…続く。