生きる確率25%と宣告されて7か月の入院生活を送った2011年。 大病が完治して退院したのが12月16日。

生きる確率25%と宣告されて7か月の入院生活を送った2011年。
大病が完治して退院したのが12月16日。
翌年、私は1年の内300日の大半、連日、京都を散策した。日本の歴史、日本そのものだけではなく、春夏秋冬、花鳥風月の中で生きていた。無数の写真を撮影しながら。愛用のカメラはSONYα99.
私とフジコ・ヘミングは梅宮大社友達、そう言ったら同行者はアハハと笑った。
さっき、リストの「ため息」を、別な奏者で聴いた瞬間に、フジコ・ヘミングは凄いと確信した。
東京芸術大学を卒業して欧州に音楽留学していた彼女が極貧の留学生活ゆえに、正に、この時、と言う当日に難聴を発症した。
それゆえ、彼女は若い時に大家である事を世界に証明できなかった。
だが、彼女は不死鳥の如くに世界に登場したのである。
素晴らしいとしか言いようのない本物の響きで。
私は、彼女が弾く、この曲を聴くと、いつも慟哭を覚える。

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