実際、五胡十六国時代の夷狄は漢民族の振る舞いを見て、人でなしを「漢人みたい」と言い、悪漢とか痴漢、無頼漢、大食漢などの言葉が生まれた。 

以下は昨日発売された週刊新潮の掉尾を飾る高山正之の連載コラムからである。
本論文も彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである事を証明している。
日本国民のみならず世界中の人たちが必読の論文である。
漢民族の正体
朝鮮人儒学者、林白湖は「四夷八蛮が中原に入っているのに朝鮮はできなかった。こんな国に生きていたくもない」と16世紀末に嘆きながら死んだ。 
中原とは万里の長城の内側を言う。支那人こと漢民族の地だが、この地に長城を越えて夷狄(いてき)が頻繁にやってきては王朝を建てて華麗な文化を咲かせた。 
しかし華夷秩序ナンバー2を自任する朝鮮はいつも指を咥え、新王朝に冊封を乞うだけだった。 
死にたくなるのも分かるが、林は大事なことを見落としていないか。 
それは中原に棲む漢人の思いだ。
中原は彼らの国土だから自分たちが統治するのが筋なのに、統治者は常に外からやってきた。 
東夷がきて殷を建て、次いで西戎がきて周を建てた。それを倒したのが同じ西戎の始皇帝といった調子だ。 
外来王朝は20世紀初めの清朝まで続き、その間の漢人の身分は常に支配王朝の奴隷だった。 
清朝では満洲族の「血が汚れる」からと漢民族との通婚を禁止し、後宮にも漢民族の女は入れなかった。 
米国でも黒人との性交渉を死刑としたが、それと同じ処遇だった。 
習近平は「偉大な民族の歴史」を往々語るが、漢民族はその歴史のほとんどを奴隷として暮らしてきた。 
だから彼らは夢も見ない。性根は歪み、刹那的でモラルもない。平気で嘘を言い、騙し、盗むのはもはや民族性にもなっていた。 
実際、五胡十六国時代の夷狄は漢民族の振る舞いを見て、人でなしを「漢人みたい」と言い、悪漢とか痴漢、無頼漢、大食漢などの言葉が生まれた。 
朝鮮はまだ国があり、自分たちの王朝があった。
林白湖も中原の漢人より幸せと考えればよかったのに。 
ただ長い歴史の中でそんな漢民族が国を建てることもあった。
漢、宋、明、そして今の中共がそれだ。 
その治世は今の北京政府を見て分かるように酷い。 
奴隷根性そのまま。猜疑心と嫉妬と我欲による政治に民は苦しめられた。 
彼らは独自の文化も持つ。宦官と纒足と残酷刑と科挙の制だとか。 
ひと様に誇れる文化は皆無だ。
因みに日本はそのどれも取り入れなかった。
そんな漢民族の建てた明が滅び、満洲族の清が北京に入城すると、民は歓呼して彼らを迎えたという。 
その図は南京に日本軍が入城したときと同じだ。
民はそれほど同じ漢人の政権を嫌い、征服民族の支配を心待ちにしているのだ。 
こうしてみると我々日本人が一括りに言う「支那人」には二種類の民族があることが判る。 
一つが原住民である漢民族と、もう一つが彼らを支配しながら絢爛の文化を咲き誇らせた征服民族だ。 
その漢人が清の傾きを見て再び頭をもたげたとき、福沢諭吉は躊躇いなく漢人を切れと言った。 
しかし他の日本人はその異同が分からないまま清の西太后を遠ざけ、漢人の孫文を選んだ。 
漢人は口を極めて西太后を残忍で無能で浪費家と腐すが、それは正しくない。 
彼女は日清戦争の敗因が科挙の制の愚と知ってそれを廃止し、代わって日本留学を新しい登竜門とした。
第1号は科挙をトップで通った汪兆銘だった。 
その感覚が孫文にはない。彼は日本にたかり、一方で米国には日本排除を要求する。
諭吉が案じた通り、孫文も蒋介石も、混乱と腐敗を呼び込むだけだった。 
そのあとの毛沢東も同じ。
漢民族の持つ残忍さと猜疑心だけで成り上がった男は東京五輪に核実験をぶつけてプルトニウムを日本の空に撒いた。 
そのくせ中ソ蜜月が崩れ、孤立すると岡崎嘉平太を使って田中角栄を誑(たら)し込み、ODAを手にいれた。 
天安門事件は中共政権が民の敵・漢民族王朝そのものと証明した瞬間だったが、それで再び国際社会から締め出されると、再び日本を騙して天皇ご訪問の形で窮地を脱した。 
その漢民族政権が今ウイグルでの悪行で孤立を深める。
日本人もそろそろ彼らの正体を見抜きたい。
何度も騙されるな。

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