元慰安婦「証言」は誰が作ったのか ― クマラスワミ報告書と虚構の構造
クマラスワミ報告書に引用された元慰安婦証言は、当時の制度史・兵力規模・数的整合性のいずれとも一致せず、同一内容の証言が複数人物に使い回されていたことが判明している。委員会ガイドを務めた弁護士の関与、裏付け公文書の不存在、河野談話ヒアリングでの矛盾、メディア報道の構造的欠陥までを一貫して検証し、慰安婦問題が「証言のみ」で国際政治化された危険な実態を明らかにする。
元慰安婦の「証言」は弁護士に誘導された作り話である。
ある事を検索しようとしていたら、以下の池田信夫Blogが出て来た。
慰安婦問題の落とし穴は、本来なら「当事者の証言」として信頼できるはずの慰安婦の証言が、弁護士などの誘導によって大きく歪められていることである。
たとえばクマラスワミ報告書に延々と引用されているチョン・オクスンという北朝鮮の元慰安婦の証言は次のようなものである。
13歳の時、1933年6月のある日、私は畑で働く両親のために昼食の用意をしなければならなかったので、村の井戸に水くみに行った。
そこで日本人の守備兵に襲われ、連れて行かれたのだという。
両親は娘に何が起きたのか知らずじまいだったという。
トラックで警察に連れていかれ、そこで数人の警官にレイプされたという。
10日ほどして私は恵山市の日本陸軍の守備隊に連れて行かれた。
そこには私のような朝鮮人の女の子が400人ぐらいいて、毎日5000人を超える日本兵のために性奴隷として働かされた。
一日に40人も相手にしたのだという。
抗議するとその度に殴られたり、ぼろ切れを口に突っ込まれたりしたという。
これは秦郁彦氏が指摘しているように、1992年に北朝鮮の労働新聞が伝えた李福汝という元慰安婦の証言と同一である。
同じ作り話を北朝鮮の労働党がコピーして、複数の人物に証言させているものと考えられる。
これが当事者の話ではないことが分かるのは、1933年当時の朝鮮半島には軍の慰安所が存在しなかったからである。
その兵舎に「400人の女の子」がいたというのも荒唐無稽である。
慰安所は兵営の外にあり、たかだか数十人規模だった。
400人の慰安婦が「1日40人」を相手にしたとすれば、毎日1万6000人となる。
5000人の兵士が毎日3回以上も性行為をしていた計算になる。
クマラスワミ委員会が採用した元慰安婦の証言は、すべてこの種の作り話である。
委員会のガイドを務めたのは高木健一弁護士である。
この証言の内容も彼らが書いたのだろう。
この弁護士は福島瑞穂の夫である。
彼らは実に夫唱婦随で、traitorそのものの活動を行ってきた。
日本国に大損害を与え、日本国と過去と現在の日本国民の名誉と信用を傷つけてきた。
その悪漢ぶりには、まともな人には誰もが唖然とするだろう。
裁判に例えれば、原告側の主張だけを反対尋問もなしに採用したものである。
この証言に証拠能力はない。
河野談話のヒアリングで出てきたのもこうした話である。
話の中身が史実と合わない。
同じ元慰安婦の話が二転三転している。
それを裏づける資料も存在しない。
そもそも元慰安婦が軍命の存在を証明できない以上、いくら話を聞いても「強制連行」は立証できない。
朝日新聞やNYTなどのお涙ちょうだいの記事も同様である。
女性国際戦犯法廷の判決も同じ構造である。
すべて元慰安婦の身の上話だけで書かれている。
それを裏づける公文書は、朝日新聞も認めた通り、旧植民地では1枚も見つかっていない。