受験優等生の幻想と、国家を統べる者の現実感覚 ― 福島瑞穂質問の本質
福島瑞穂の国会質問を契機として、受験競争とイデオロギーに染まった「文化人」層の精神構造と、その反対側に立つ安倍晋三の出自と国家観を対比する。学歴とマルクス主義・似非モラリズムで権力を目指す精神構造と、不要な受験競争に埋没せず国家統治を宿命として歩んだリーダー像の決定的な違いを論じる。
不要無用の受験勉強に明け暮れて、現実に対する眼差しを曇らせる必要もなかった。
2016-01-20
昨夜の福島瑞穂の質問の酷さに対して…。
彼女や朝日新聞や、これと同調して来た、いわゆる文化人…。
つまりその大半は、田舎に育った、実は単なる受験優等生たちが、東大や早稲田などに入り、朝日新聞や朝日ジャーナルを購読し、マルクス主義や共産主義の洗礼を受け、自分が絶対無謬の正義の塊であるかの様な、愚かな思想の塊と化していった存在である。
それだけならまだしも、彼らの特徴は、安保反対運動や全共闘に明け暮れた実態の中で、敵対者や反対者に対して、とことん攻撃する幼稚で執拗な攻撃性と、権力志向、人を押しのけても立身出世しようとするエゴイズムの塊となっている態様にある。
その態様を簡単に言えば、学歴を利用し、マルクス主義や共産主義と似非モラリズムで理論武装して、権力者に成り上がろうとする精神構造なのである。
一方で、そのような態様とは全く正反対に、戦前、戦中、戦後の日本で最も優秀な頭脳を持った人間であり、朝日等が形容してきた人物像とは全く異なり、戦後日本の繁栄をもたらした本物にして偉大な人物であった岸信介を祖父に持ち、次期首相が確実視されていた父親を持つ家系に育った安倍首相は、
彼らの様に、成り上がろうとして、彼ら自身も気づかぬまま醜悪なエゴイズムを発揮し、その結果として悪を為すといった態様は、全く必要なかったのである。
不要無用の受験勉強に明け暮れて、現実に対する眼差しを曇らせる必要もなかった。
何故なら、彼は、誰の目にも明らかに、いずれ自民党の総裁となり、日本国を統治する事になる人間としての道を歩んでいたからである。
この稿続く。