サンゴ事件に現れた「虐日史観」 ― 朝日的思考の精神構造を暴く
酒井信彦元東大教授の著作から、サンゴ事件に表出した朝日的思考の本質を検証する。「自虐史観」という呼称の不適切さを指摘し、日本と日本人を攻撃対象とする左翼史観の実態は「虐日史観」と呼ぶべきであることを論理的に解明する。
このサンゴ事件の記事に現れた、日本を徹底的に悪者として糾弾して貶める思考法、すなわち差別と偏見の朝日的思考と言うべきものが、歴史問題として発現したのが、先に言及した本多勝一の一連の報道であると考えて間違いない。
2016-01-19
では、日本および日本人を貶めることに熱中する、朝日的思考なるものは、いかなる構造を有しているのであろうか。
それを究明する手がかりとして、まず朝日的思考と密接な関係にある、左翼の「自虐史観」なるものを考えてみよう。
戦後、日本の歴史学界では、共産主義すなわち左翼の歴史観が大きな影響力をもってきた。
それは戦中のみならず戦後の日本の歴史も、極めて批判的にみる歴史観である。
またそれは、戦前からの共産党のマルクス主義史観と、アメリカ占領軍による東京裁判史観が融合したものと考えればよい。
第2章の歴史問題の歴史のところで述べたように、80年代からこの歴史観を中共・韓国の外国勢力が利用することによって歴史問題が発生し、今に至るまで我が国を苦しませ続けている。
それに対抗する人々は自由主義史観を唱え、彼らが左翼史観を批判的に呼んで与えた名称が、「自虐史観」なるものであった。
日本を常に批判的に悪く言うのが左翼の歴史観であるから、日本全体の視点から眺めれば、日本人が日本人を精神的に虐待しているわけであり、「自虐」という言い方もそれなりに理解できないわけではない。
また「自虐史観」という名称も、わかりやすく便利であることは確かである。
しかし、私が「自虐」という表現に対して強い違和感を覚えるのは、自虐史観を振り回している人間が、それによって自らの心に痛みを感じているのか、という根本的な疑問があるからである。
彼らは明らかに痛みなど感じていない。
それどころか、それによって大きな喜びを感じているに違いないのである。
つまり、彼らにとってその時、自分は攻撃対象としている日本人の中には含まれていないのである。
あたかも外国人に対するように、日本人に対しているにすぎない。
したがって左翼などの歴史観は、明確に日本そのものを、非難・虐め・攻撃の対象としているのであるから、「虐日史観」と実態を正確に表した表現を用いるべきであると、私は考えるのである。
もちろん「反日史観」という言い方もできるが、「反日」ではあまりにも生ぬるく、インパクトに欠けると言わざるを得ない。