金嬉老事件は差別事件だったのか ― GHQ政策・密入国・朝鮮総聯運動の交錯
金嬉老事件は本当に「差別」が原因だったのか。GHQによる朝鮮人優遇政策、密入国者の大量流入、朝鮮総聯による「強制連行」運動、進歩的知識人による事件擁護の論理構造を検証し、戦後日本の民族認識がいかに歪められてきたかを鋭く問い直す論考。
2017-02-23
以下は前章の続きである。
金嬉老事件の背景は本当に「差別問題」だったのだろうか。
一般に日本人が朝鮮人を蔑視してきたように言われてきたが、大日本帝国(以下帝国)解体後の戦後日本では、米占領軍(連合国軍総司令部=GHQ)が朝鮮人優遇政策を執った。
日本人よりも朝鮮人を優遇することで民族間対立を煽り、日本人の占領政策に対する反発への防波堤に使い、軍事占領を円滑に統治しようとしたのだ。
これは西欧諸国の植民地経営によく見られる、民族間対立を助長させることで統治を円滑に図る彼らの常套手段である。
私は、この煽られた「民族間摩擦」が、金嬉老の言い分を助長したと考えている。
帝国解体時、それまで約200万人近くいた日本在住の朝鮮人の内、ほぼ160万人が帰った。
昭和21(1946)年末時点で大凡40万人しか在日朝鮮人はいなかった。
それが北朝鮮への「帰国運動(帰還事業)」が始まった昭和34(1959)年には60万人に増えた。
むろん、これは表に出た数字である。
民族間の対立を助長させるGHQの朝鮮人優遇政策は、朝鮮半島への帰国を目指した朝鮮人の足止めを招くどころか、むしろ逆流するきっかけを作ったのだ。
僅かな期間で人口が1.5倍に増えるなどあり得ない。
この間、密入国で摘発された者は約6万人である。
6万人の3倍は逮捕されなかった密入国者がいたことが指摘されている。
約20万人であり、60万人から40万人を引けば20万人と数字的には合っている。
しかし、この「在日朝鮮人60万人の内、20万人の密入国者」が持つ意味は、これまで余り問題にされて来なかった。
ところで先ほど述べた20万人の密入国者は何処に消えたのであろうか。
少なくとも、密入国者の存在は70年代半ばまでは、広く知られていた。
北朝鮮への帰国運動で10万人が海を渡って行く一方で密入国者は増えており、阪神地域の産業を底辺で支える労働力として期待されていた存在でもあった。
多くの在日朝鮮人が密入国者であったことを、多くの日本人は今では忘れている。
その過程に金嬉老事件がある。
それは金嬉老や事件に対して「在日朝鮮人は差別されてきたのだから、罪一等減じるべきだ」といった主張が繰り広げられるのを受けた朝鮮総聯の運動があったから、とも言える。
その運動とは、朝鮮総聯が日本の“現代史の暗部である強制連行の実態解明”を推進する「朝鮮人強制連行真相調査団」を結成したことである。
この運動は昭和48(1973)年に北海道と九州で始まり、贖罪史観に囚われた日本人学者と市民運動家などの協力も重なって多くの調査報告が出されている。
そして朝鮮総聯は結成50周年を記念した『朝鮮総聯』(在日本朝鮮人総聯合会、2005年刊)では、「朝鮮人はなぜ日本に住んでいるのか」の説明に「強制連行」を強調するようになったが、朝鮮総聯の幹部にも密入国者がいたことは常識である。
金嬉老の殺人事件を擁護する根本的発想は次の言葉に象徴される。
「なるほど、金嬉老は2人の人物を殺害した。そしてあなたは、殺人を絶対的な悪であると言われる。それでは、無数の朝鮮人の命を奪った日本人の行為はどうなのか?」(『金嬉老の法定陳述』の「あとがき」)
この引用文にある「あなた」は、恐らく福田恆存、会田雄二、柴田錬三郎らを指しているのだろう。
鈴木は、「あなた」が「それは戦前の話であり、前の世代の行った行為だ。私がその責任を負ういわれは何もない」と回答すると予想したうえで、次のように反論する。
「ところが私は、その資格があなたにも与えられていないと思う。それというのも、われわれ自身がこの陰惨な歴史を受けつぎ、これを再生産している当の者だからだ」。
鈴木道彦は1929年生まれだから、敗戦直後の記憶、朝鮮人が暴れていた記憶も持っていた筈だ。
金嬉老が寸又峡で糾弾したのは、警察官の「てめえら朝鮮人は日本に来て、ロクなことをしないで!」という差別的言動だが、それは警察官の人生から吐き出された言葉であった。
それに怒る金嬉老の人生に重なる言葉でもあった。
金嬉老が日本人2人を殺害して寸又峡に立て籠もるまでは、戦前は窃盗で少年保護院、戦後は窃盗・詐欺・強盗を繰り返し、刑務所と日本の社会を往復している。
それ故に警察官の言葉が堪えたのであろう。
その一方でそういう言葉を吐く警察官には、敗戦直後から傍若無人に振る舞った朝鮮人に対し、治安維持の立場から取り締まる人生があった。
金嬉老を支援した進歩的知識人は、対峙して日本の治安を守ってきた警察官、いきなり射殺された2人の日本人への「労り」の気持ちはなかったのだろうか。
金貸しをして催促した暴力団員だから殺されても仕方ない、というのだろうか。
殺された2人のうち1人は暴力団構成員ではなかったという。
この稿続く。