千年遅れの「宗教離れ」――進化論裁判が示す米国社会の深層

欧州は千年を経て宗教の愚を自覚し、宗教改革を経てようやく教会離れを果たしたが、米国にはその以前の信仰形態を持ち込んだ移民が今なお根付いている。1925年のスコープス進化論裁判、進化論を禁じた州法、そして1967年まで続いたその法制度は、米国に残る中世的宗教観の実態を如実に物語っている。

以下は前章の続きである。

欧州の人々は、
千年たって、その馬鹿さ加減に、
やっと気づき、
宗教改革を経て、
ようやく、教会離れをしていったのである。

自然科学が、
息づき始めたのも、
この頃からである。

例外もある。

米国には、
その宗教離れを起こす前の欧州から、
移民して来た人たち、
例えば、アーミッシュとかの、
古いタイプの信者が、
そのまま根付いてしまった。

それを象徴するのが、
一九二五年、
日本では大正十四年に当たる年にあった、
生物学教師、
ジョン・スコープスの裁判である。

実はその年、
テネシー州議会が、
「万物は創造主がお創りになった」
という聖書の記述に反する、
ダーウィンの進化論を、
教室で教えてはならない、
とする州法を成立させていた。

何を馬鹿な、
と、デートンの高校教師スコープスは、
それを無視して、
進化論を教えた。

裁判は、
その年の七月に行われ、
侃々諤々の末に、
州法に違反したのは事実として、
彼は有罪、
罰金百ドルに処せられた。

これだけでも、
十分に驚かされるが、
この州法は、
実は一九六七年まで、
生き続けている。

実際、
前々回の大統領選候補に入った、
ブキャナンは、
進化論を否定し、
「人間には、
猿から進化したなどという、
馬鹿げた話を、
信じない権利がある」
と発言し、
それで、
結構、票を稼いだりしていた。

この稿、続く。

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