研究炉を潰す過剰規制――規制委がもたらす安全の名を借りた人災
規制委は研究用小規模原子炉にまで商業用原発と同一基準を適用し、現場を疲弊させている。
膨大な書類作成と不明確な基準が研究と教育を停滞させ、人命を守るどころか脅かしている。
これは安全確保ではなく、制度による人災である。
以下は前章の続きである。
2016-01-05
にもかかわらず、規制委は大規模商業用発電原子炉と同じ基準を、この研究用小規模炉に当てはめる。
地震、津波、竜巻、テロ、航空機、火災、活断層など、あらゆる事象を網羅した厳しい対処を求める。
その上で、数万ページから四十万ページにも及ぶ膨大な書類作成を要求するのである。
九州電力の川内原発では、その量は四十万ページに達した。
京都大学の宇根崎氏ら教授・研究者は、過去二年間、規制委対応に追われてきた。
書類作成が仕事の中心となり、本来の研究は遅延と停滞を余儀なくされている。
なぜ、こんな事態になるのか。
規制委の役割は、本来、現場を最もよく知る事業者と対話し、原子炉および原子力利用施設の安全性を高め、人命を守ることである。
しかし規制委は、三条機関として与えられた強大な権限と独立性を、事業者と意見交換しないことと混同しているのではないか。
その結果、現場の実情を無視した見当外れの審査に走り、かえって人命を脅かす結果を招いている。
原子炉施設の安全確保が万人共有の目標であることは、論を俟たない。
だが、現場に十分耳を傾けない規制委は、非現実的なまでに厳しい要求を突きつける。
しかも、具体策に踏み込むほど、彼らの基準は揺らぎ始めるのである。
放射線について十分な安全性を求めるのは当然だ。
しかし、何をもって十分とするのか。
工学的要素やリスクをどう評価するのか。
その基準は、極めて曖昧である。
京都大学は、核燃料物質関連施設の改造において、補正申請を四回も繰り返させられた。
宇根崎氏が「生みの苦しみ」と表現したこのプロセスは、最終審査までに一年半を要した。
だが、その苦しみの主因は、規制委の基準が定まっていなかったことにある。
審査に臨むにあたり、規制委は本来、最初に明確な基準を示すべきである。
しかし、現実はそうなっていない。
この稿続く。