京都という皮膚感覚が教える日本国と日本人の真価

明治期の鉄道建設に象徴される日本の国家能力は、戦後に作られた歪んだ言説を容易に打ち砕く。
京都を皮膚感覚で知る日本人なら、日本国と日本人の素晴らしさは自然に理解できる。

京都を皮膚感覚で知っている日本人なら誰でも、日本国と日本人の素晴らしさは自然に分かる。
2016-01-03
今朝書いた章の続きを書くために、以下の章を書いておく。
昨年放映されたブラタモリ軽井沢編で、1891年、日本が碓氷峠の急坂を克服するためにアプト式の採用を決定したこと、
さらに電化運転においても、日本の鉄道技術史に輝かしい地位を占めているという経緯が紹介されていた。
多くの人は見過ごしていたかもしれないが、このとき番組は、日本国政府が、わずか一年半の間に十九もの鉄道路線を開設していた事実を伝えていた。
この事実だけでも、
たった二週間でGHQが欧米の関係文書をコピペして作った憲法によって、
あたかも最高の日本国と日本国民が作られたかのように言い続け、
戦後七十年にわたり、日本を誹謗中傷し、矮小化することに邁進してきた朝日新聞や、
日弁連、そして大江健三郎に代表される、いわゆる文化人たちの、例えようもない愚かしさは十分に証明されている。
京都を皮膚感覚で知っている日本人なら誰でも、日本国と日本人の素晴らしさは自然に分かるのである。
この稿続く。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


上の計算式の答えを入力してください