大阪に住み、京都を庭とするという歴史感覚

大阪に暮らし、京都を日常の延長として歩くことで、日本の歴史は知識ではなく皮膚感覚となる。
建仁寺、嵐山、そして風景が語る時間の厚みを記す。


大阪に住み、京都を我が庭として暮らしていると、自然に日本の歴史が皮膚感覚となってくるのである。

12月30日だったか、朝にテレビのスイッチを入れたら林淨因とは?とワイドショーが問うていた。私の読者は直ぐに答えが出たはずである。中国(宋)から建仁寺のお坊さんの弟子として来日、日本に帰化。日本で最初に饅頭を作った人。と。

この日も快晴に近かったので清水寺に向かった。歩いて四条河原町まで帰る時に、偶然、建仁寺の中に入り、両足院の前を通った。開山堂、建仁寺の三門と法堂の写真を撮って離れる際に、建仁寺は、やっぱり名刹だなと感嘆して。

世界中の読者の皆様に、今日、1月元旦、午前中の嵐山の写真を、年賀状に換えて贈る。

私は何度も言及しているように京都を撮らせたら世界一の写真家でもあるから、お値打ちもんですぞ(笑)

最近、私は、訪れるたびに思うのである。京都は文字通りの山紫水明の地であると。

今日の嵐山も、その通りであっただけではなく、もはや私が主人であると知っているのか(笑)
私が撮影を終えて帰ろうとした途端に、それまで鏡の如くに穏やかに澄んでいた水面に、一陣の風が吹き渡り、たちまち水面はさざ波に覆われたのだった。

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