誰が本物の「ビッグ・ブラザー」なのか――意図的誤読で覆い隠される共産主義独裁の正体
オーウェル『一九八四年』は本来、スターリン独裁下のソ連を描いた強烈な共産主義批判である。
それをトランプ政権や安倍政権批判に転用するメディアの誤読は、現代の本物の「ビッグ・ブラザー」から批判の目を逸らすための操作に他ならない。
2017-03-05
以下は前章の続きである。
言うまでもないことだが、オーウェルが描いたのは一般的な全体主義社会ではない。
風刺の対象としたのは、スターリン独裁時代のソ連の姿であり、強烈な共産主義批判の作品でもある。
それを、共産主義と対極にあるトランプ政権や安倍政権を批判する道具にするのは、どう考えても無理がある。
一時期まで、一部のメディアは、安倍晋三首相をヒトラーに重ね合わせ、国民の恐怖心と嫌悪感を煽ろうとした。
そして今度は、トランプ大統領との親密ぶりと結びつけ、両者はビッグ・ブラザーだと批判しようとしているらしい。
しかし、それも変な話で、我が国の周囲には、本物のビッグ・ブラザーが存在する。
オーウェルが描いた通りの、共産主義の独裁者だ。
このビッグ・ブラザーは、国民を徹底的に監視し、異論を許さない。
逆らえば、身内であっても、処刑や暗殺の対象になる。
粛清された者は、初めからこの世に存在しないものとされ、歴史の改竄は日常的だ。
これこそが、本物の全体主義社会であり、オーウェルが描いたのは、その恐怖である。
それを、日米の指導者や現状を批判する道具とするのは、的外れであり、フェイク・ニュース以外の何物でもない。
だが、穿った見方をすれば、現代の本物のビッグ・ブラザーと、その手法に、批判の目が向かないようにしているのではないか。
同じことは、まさに一九八四年、昭和五十九年当時にも見られた。
ソ連が健在であったにもかかわらず、『一九八四年』は、自由社会の管理社会の到来を予想し、批判したものとされ、訳者も銀行のATMの監視カメラを問題にしていた。
意図的な誤読だが、肝心のソ連批判、共産主義批判という理解は、メディアでは圧倒的に少数だった。
朝日の記事は、版元の担当編集者の、「七十年近く前に出た本が、リアリティーを持って読めてしまう現状だということで、複雑ですよね」という話で結ばれている。
読者をミスリードする姿勢に、複雑ですよね、と言いたくなる。