「自分たちは戦わない」――〈愛があるから〉という空理空論
「戦わない」という言葉を〈愛〉で正当化する風潮を、AKB48の歌詞と難民受け入れ論を例に痛烈に批判する。行動を伴わない理念の危険性と、日本人の現実を置き去りにする欺瞞を暴く。
2016-02-02
朝日の購読を止め、私が言及して来た月刊誌を欠かさず購読している親友が、
今月号のWillは、最初から良いよ、と言った。
私は、以前にも言及したように、
今年、選挙権を持つ18歳以上の若者は、全て、
例えば、この月刊誌を、購読すべきであると、確信する。
それだけが、日本国と、日本国民のためだと言っても、過言ではない。
ましてや、今回の2016年3月号は、
これだけの真実が満載されていながら、たったの820円である。
あなたが、あなたの目を傷め、
あなたの思索の時間を減らし、
多額のお金まで奪われている、ゲームなどに、うつつを抜かしている事と、
この820円を、一度、比較した方が良い。
朝四暮三と題した、巻頭コラムからである。
正月も、もう一月前の話となる。
老生、初詣は、近くの小神社。
そのあとは、することもなく、行くところもなく、
平平凡凡に、テレビを観ていた。
老人の生活である。
テレビは、どれもこれも、ただ、ガチャガチャと、騒々しく、
玩具箱を、ひっくり返したような、さまであった。
その中で、ふっと、AKB48の歌が出てきた。
もちろん、手を振り、足を振りしての、御出座しである。
その歌詞を聞いて、驚いた。
自分たちは、戦わない。
愛を、信じているから、と来た。
反戦歌である。
要するに、行動として、戦わない。
その代り、
相手に対する愛を、信じている。
つまり、愛があるので、
愛で、相手を、やさしく、包みこむ、と歌う。
愚かな話である。
そんな高尚なことが、できるのは、
神、それも、一神教における、全知全能の神のみである。
その神に、なろうというのである。
短いスカートで、跳ねまわって、踊っている、あの小娘集団が。
これ以上の、ギャグはない。
呵呵大笑。
なら、こうも、言えよう。
自分たちは、戦わない。
生命が、惜しいから。
自分たちは、戦わない。
お金を、あげるから。
自分たちは、戦わない。
デートが、あるから。
自分たちは、戦わない。
飲み会が、あるから。
自分たちは、戦わない。
試験が、あるから。
……。
その程度の、〈愛があるから〉である。
そうした、空理空論が、世に、蔓延っている。
例えば、昨年のこと。
NPO法人「難民支援協会」など、14団体が、
9月28日、
シリア難民を、国内に、受け入れるよう、
安倍晋三首相宛の、申入れ書を、政府に出した。
冗談ではない。
日本人にして、
日々の生活が、大変という人々が、たくさんいる。
そうした人々の、救済は、さておき、
外国の難民を、受け入れろだと。
本末顛倒である。
おそらく、こういう理屈であろう。
日本は、豊かだから、難民受け入れが、できるでしょう。
私たちには、〈愛があるから〉。
この稿、続く。