日本の二十倍の軍事費を使う共産党独裁国家に、日本はどのように立ち向かえばいいのだろうか。
2017-03-08
自らは日本円を貯蓄することに血眼になりながら、他者には「貧しくてもいい」と言ってのける、恥知らず。
月刊誌正論今月号には本物の論文が満載されている。
その中に経済評論家の三橋貴明の論文がある。
正論の購読者でもあり、私の読者でもある具眼の士の人たちは、この論文もまた、私の論説の正しさを100%証明している論文であることに気づいたはずである。
彼はこの全く正しい論文の中で、朝日新聞の記事と、いわゆる朝日新聞文化人の代表選手の一人である上野千鶴子が中日新聞に書いた記事を、至極当然に批判している。
彼女の頭脳の実態が、朝日新聞を購読して育ち、論説委員たちの思想で生きているだけであることは、以前に書いたとおりである。
世界は、このような新聞と、いわゆる文化人たちを、三年前の八月までは日本を代表していると思って来た事を恥じるはずである。
いまだに市場経済が理解できないのか。
朝日新聞の「ゼロ成長」。
経済評論家、三橋貴明。
今年一月四日、朝日新聞は「経済成長は永遠なのか『この二〇〇年、むしろ例外』」という記事を配信し、日本の将来の経済成長について否定的な論調を報じた。
記事を書いた原真人記者は、「だがこの二十五年間の名目成長率はほぼゼロ。ならばもう一度有屑上がり経済を取り戻そう、と政府が財政出動を繰り返してきた結果が世界一の借金大国である」と、例により「国の借金=世界一の借金大国」という虚偽のレトリックで、成長を否定してみせた。
さらに、東京大学名誉教授の上野千鶴子は、二月十一日の中日新聞「平等に貧しくなろう」において、「日本は人口減少と衰退を引き受けるべきです。
平和に衰退していく社会のモデルになればいい。
一億人維持とか、国内総生産六百兆円とかの妄想は捨てて、現実に向き合う」と、インタビューで語った。
筆者は日本の「言論の自由」をこよなく愛する一人である。
とはいえ、原真人や上野千鶴子といった成長否定論者の発言や記事を読むたびに、我が国は「国防上の理由」から、言論の自由を制限しても構わないのではないかという思いに駆られてしまう。
原や上野に代表される成長否定論者たちの言論に影響され、日本国民に「日本は経済成長しない」「日本は経済成長する必要がない」という意見が蔓延してしまうと、冗談でも何でもなく、我が国は亡国に至ることを、筆者は確信している。
そもそも、この手の成長否定論者たちが勘違いしているのは、日本が成長していないのは、別に我が国の宿命でも必然でもないという点である。
日本が経済成長していないのは事実だが、理由は単純にデフレのためだ。
物価下落以上のペースで所得が縮小していくデフレの国が、経済成長することは不可能だ。
何しろ、経済成長とは「生産=支出=所得」であるGDPが拡大することであるためだ。
物価以上のペースで所得が減少するデフレ国が、経済を成長させるなど、端から不可能なのである。
日本が経済成長を実現するためには、デフレーションから脱却することが不可欠だ。
とはいえ、この手の成長否定論者の論調が支持を集めると、デフレ脱却に不可欠な「政府による需要創出」が不可能になってしまう。
結果的に、成長否定論者の狙い通り、日本の経済成長率は低迷する。
原真人の「日本は借金大国」というデマゴギーについては、筆者は様々なメディアで繰り返し間違いを指摘してきたため、本稿では取り上げない。
それ以前に、原真人や上野千鶴子といった成長否定論者は、三つの点で「言論の自由」を制限されても構わないと思うほどに罪深いのである。
一点目。
原にせよ、上野にせよ、過去の日本経済の成長、すなわち所得の拡大の恩恵を受け、日本国で豊かに、快適に暮らしてきたのである。
自分は過去の日本の経済成長の恵みを受けているにも関わらず、将来の成長を否定する。
自分は、過去の成長のおかげで安楽に暮らし、将来の日本国民は貧困化する国家で暮らせと言っているわけだ。
倫理的に許される話ではない。
「平等に貧しくなろう」と主張するのであれば、上野にはまず、自分の全財産を国庫に寄付するなどして、自ら「貧しくなる」ことで範を示してほしい。
断言するが、上野に代表される「日本は貧しくなってもいい」論者たちは、自分は懸命に日本円をかき集め、溜め込む。
自らは日本円を貯蓄することに血眼になりながら、他者には「貧しくてもいい」と言ってのける、恥知らずたちなのである。
二点目。
原や上野は、GDPこそが税収の源泉であることを理解していない。
GDPは、その国の所得の合計だ。
そして、我々は所得から税金を支払う。
必然、GDPと政府の租税収入は強い相関関係にある。
GDPが大きい国は、税収が増えるため、財政規模も大きくなる。
当然ながら、財政規模が拡大すれば、軍事支出にも多額の金を費やすことが可能になる。
成長なしでは国防が破綻する。
橋本政権の緊縮財政で日本経済がデフレ化する前、我が国のGDPは一国で世界の十七%超を占めていた。
その後、日本のGDPシェアはひたすら落ちていき、二〇一五年には五・六%にまで凋落してしまう。
反対側で、中国は日本からの直接投資の恩恵も受け、経済成長を続けた。
すでにして、中国のGDPは日本の二倍以上に膨らんでいる。
このまま日本経済が成長せず、中国経済が拡大を続けた場合、最終的にはどうなるだろうか。
中国のGDPが日本の十倍、軍事支出が二十倍という時代が、二十年ほどで訪れることになる。
日本の二十倍の軍事費を使う共産党独裁国家に、日本はどのように立ち向かえばいいのだろうか。
立ち向かえない、というのが残酷な答えだ。
日本国を将来の日本国民に「日本国」として残すためにも、我が国は経済成長しなければならない。
そして、経済成長のためにはデフレ脱却が不可欠である。
ところが、原や上野に代表される成長否定論者は、ありもしない「財政破綻論」や成長否定論を振りまき、日本のデフレ脱却のための財政出動を妨げる。
三つ目。
成長否定論者の多くが勘違いしているのだが、現在の日本は経済成長の絶好の機会を迎えているのである。
経済成長とは何か。
もちろん、GDPが拡大することだ。
それでは、GDPが拡大するためには、どうしたらいいのか。
人口が増えなければならないのか。
笑わせる。
いまだかつて、地球上に、人口の増加により経済成長を達成した国など存在しない。
経済成長のために必要なのは、日々働く生産者一人当たりの生産量の拡大である。
生産者一人当たりのGDP、生産量の拡大のことを、生産性の向上と呼ぶ。
経済成長とは、生産性の向上によりのみ達成される経済現象である。
現在の日本は人口が減少している。
確かに人口は減少しているが、人口が増加しようが減少しようが、経済成長する国は成長し、成長しない国は成長しない。
現在の日本は、少子高齢化による生産年齢人口比率の低下を受け、人手不足が深刻化してきている。
人手不足こそが、生産性向上のための投資の絶好の機会だ。
需要に対して供給能力が不足している以上、投資をすることで企業は儲かる。
生産性向上とは、実質賃金の上昇とイコールである。
人手不足を埋める生産性向上のための投資こそが、実質賃金を高め、国民を豊かにする。
それにも関わらず、成長否定論者の影響で、日本の経営者や政治家が投資を増やさず、経済成長率が低迷した場合、将来的に我が国は普通に中国の属国と化すであろう。
現在の日本において、成長否定論者たちは、言論の自由を奪われても仕方がないほどに罪深き存在なのである。
日本国民は、改めて理解する必要がある。
国民が成長の意思を持ち、投資を拡大し続ける限り、経済成長は永遠に続くのだ。