投書欄まで統制される新聞 ― 朝日新聞という「ポルノ新聞」の正体
2017-03-10発信。
月刊誌Hanada最新号に掲載された加瀬英明の論文を手がかりに、朝日新聞が論説のみならず投書欄「声」まで自社の論調に合わせて統制してきた実態を検証。
民主主義を掲げながら多様な意見を排除し続ける朝日新聞の構造と、その歴史的体質を鋭く批判する。
民主主義は多様な意見のうえに成り立っているのに、投書欄まで。
2017-03-10
昨夜、月刊誌Hanada最新号に掲載されている加瀬英明の論文を読んで呵々大笑した。
正に、その通りだったからである。
私と同様に長い間の朝日新聞の購読者は皆、彼の事は、右寄りの人だ、という印象を持って来たはずである。
何よりも朝日新聞が彼の論説を掲載する事は殆どなかったから、朝日新聞の購読者は、彼の事は何も知らなかったといっても過言ではない。
私は、彼は華麗な一族の一員だったはずだと知っていたから再度確かめてみた。
安田財閥に連なる家系で、ヨーコ・オノは従姉である。
慶応大学を卒業してから、イェール大学、コロンビア大学に留学した事、ブリタニカの初代編集長であることは初めて知った。
世界各国での講演活動も多く、シカゴ大学・ペンシルベニア大学などで講演している。
政財界でも活動し、福田赳夫内閣・中曽根康弘内閣の首相特別顧問、福田赳夫・大平正芳・鈴木善幸内閣の外相特別顧問などを歴任している、という事実も初めて知ったに等しい。
総力大特集
大メディアの嘘とヘイトと偏見。
朝日新聞はポルノ新聞である。
加瀬英明。
「声」欄にセミプロの投稿者。
私と朝日新聞の付き合いは、長い。
『文藝春秋』時代の花田さんにもお世話になったが、朝日新聞批判の草分けの一人だ。
私は文藝春秋の田中健五氏が『諸君!』の編集長の頃に、同誌によく新聞批判を執筆した。
そのうちに『文藝春秋』本誌(1975年11月号)に、4百字詰めで80枚以上にわたる朝日新聞批判を書いた。
田中氏はその時に『文藝春秋』の編集長だったが、「最近朝日新聞紙学」という、よい題名をつけてくれた。
朝日新聞がすぐに社会面で「事実無根の中傷」だといって大きく取り上げたうえで、謝罪を要求する内容証明書を送ってきた。
私は福田恆存氏と親しかったが、氏はぜひ裁判をやろうといって激励してくれた。
黛敏郎氏、村松剛氏や、香山健一氏も応援団に加わるといってくれた。
私は新聞の拡販戦争から偏向問題まで争われる、画期的な「新聞裁判」になっただろうから、そうしたかった。
ところが、財界人や、『経済界』の佐藤正忠氏をはじめとする著名な人々が、朝日側に立って仲裁を買って出て、私に話し合うようにすすめた。
結局は、朝日新聞社も文藝春秋も戦いたくなかったので、曖昧きわまる形で手打ちが行われた。
30年か、40年前までは、銀座の溜り場のようなクラブをどこか覗けば、新潮社、文藝春秋、講談社の編集者や、物書き仲間が来ており、朝日新聞の記者なども加わっていた。
新宿三丁目にも小さな「チャオ」というバーがあったが、その常客に、朝日新聞の投書欄の『声』を担当していた佐々克明氏がいた。
私はたいへんに親しかった。
佐々氏の尊父は戦中戦後の朝日新聞の論説委員で、終戦の前日の8月14日の「鬼畜米英を討て」という社説を書き、その2日後に「平和の師表たれ」という社説を書いたことで知られた。
昨年12月8日から20数年ぶりに朝日新聞を購読するようになったが、投書欄はまだ『声』と呼ばれている。
佐々氏は常連の投稿者に、投書を発注するのが仕事だった。
いまでもそうなのかもしれないが、当時は朝日御用達のセミプロの投稿者がいた。
私は佐々氏が常連の投稿者に、電話で発注する現場にいたことがある。
あの頃から『声』の中身は、いまでも変わっていない。
民主主義は多様な意見のうえに成り立っているのに、投書欄まで朝日新聞の論調に合わせている。
これは読者に目隠しするものだ。
眼鏡に適った主張だけ。
今年1月3日の『声』も、早速読者を目隠しにかかっていた。
「平和や環境分野で世界に貢献を」「戦争せず国を守る方法考えて」「核廃絶で日本が先頭に立て」「米軍脅威から国民の命守れ」といったように、朝日新聞社の眼鏡に適った主張だけが並んでいる。
「平和環境分野で」という82歳の男性からの投書は、「シリアや南スーダンで戦闘が続き、イスラム過激派による欧州でのテロも続いている。
年末にはロシアの駐トルコ大使射殺事件も起きた。
(略)心が痛むばかりだ」と述べ、「政府には今こそ、国際平和や人権、地球環境保護の分野で貢献して、世界中から評価を得られるような外交を期待したい」と勧めている。
人権や環境保全によって、戦争やテロに対抗することはできない。
あとの投書も現実から目を閉ざすものばかりだ。
自衛隊を増強して戦争を阻止せよとか、中国が日本を核ミサイルの標的にしているのを放置してよいのか、という声を採用することは絶対にない。
安酒呷ったような記事。
今日、日本が保守化して左翼が孤立化するようになったから、朝日新聞を読むたびに気持ちよく笑えるが、1970年代には、朝日新聞が日本を滅ぼしかねなかったので真剣に憂えた。
いま振り返っても、悪夢を見るように思い出すが、1972年に日中国交正常化が行われた時の朝日新聞は、顔を赧らめずに読むことができなかった。
田中角栄首相が北京空港に降りたった日の夕刊は、一面に「日中いま握手」という大見出しが横切っていた。
[北京25日=西村特派員】その時の重く、鋭い静寂を、何と表現したらいいだろう。
広大な北京空港に、いっさいの音を失ったような静けさがおちてきた。
1972年9月25日午前11時40分、赤いじゅうたんを敷いた飛行機のタラップを、黒い服の田中首相がわずかに体を左右に振りながら降りてきた。
まぶしそうに空を見上げ、きっと囗を横に一文字に結んで、周首相の前に進んだ」。
「…これは夢なのか。
いや夢ではない。
今、間違いなく日中両国首相の手が、かたく握られたのである」。
「実際には、その時間は一分にも満たなかったはずであった。
記者団の群れにまじった欧米記者たちの不遠慮な声もしていたかもしれない。
しかし、その時間は、もっと長く感じられた。
なんの物音もしなかったと思う。
四十年も続きに続いた痛恨の時間の流れは、この時ついにとまった。
その長い歳月の間に流れた日中両国民の血が涙が、あふれる陽光のなかをかげろうのようにのぼっていくーふと目まいに誘われそうな瞬間のなかでそんな気がした……」。
私はこの朝日の特派員が、首相が北京空港に着くまで安酒を呷っていたのではないか、と心配した。
もはや滑稽本の類。
私は雑誌に、「新聞記者はどのような状況に出会っても、目まいを起してはならない。
それに日本であれ外国であれ、記者たちはいつも不遠慮な声を出しているものではないか」と書いた。
社会面を広げると両ページにわたって、「待ちかねた朝 東京 北京広く高い青空」とか、「ニーハオ こんにちは 日中新時代へ飛行 首相、平静ななかに緊張 超党派の激励を背に『角さん、頼んだぞ!』 TVに食入る市民の目」といった見出しが散らばっていた。
朝日新聞はこの三日前の社説で、「日中新時代を開く田中首相の訪中」と題して、田中訪中をきっかけにして日中ソ三国が「不可侵条約」を結ぶことが可能になった、と主張していた。
「……日中正常化は、わが国にとって、新しい外交・防衛政策の起点とならねばならない。
日米安保条約によって勢力均衡の上に不安定な安全保障を求める立場から、日中間に不可侵条約を結び、さらにその環にソ連をひろげる。
あるいはアジア・極東地域に恒久的な中立地帯を設定する。
そうした外交選択が可能となったのである」。
これには、当時といえども爆笑させられた。
当時、中国は中ソ戦争に脅え、ソ連の侵攻を恐れて、全国にわたって人民がもう数年にもわたってシャベルを持って動員され、防空壕を掘り続けていた。
この時から、私は朝日新聞の縮刷版は滑稽本に分類すべきだと信じるようになった。
「憲法くん」の白昼夢のように、地に足がまったくついていない「笑い話」の滑稽さは、いまもしっかりと継承されている。
私はいまでも朝日新聞記者や、編集幹部と親しくしている。
退社後におちあって、浅酌しながら内外の情勢について話すが、みんな、まともな人たちだ。
私とほとんど意見が変わらない。
ところが紙面を手に取ると、平和憲法を守れとか、日本は戦犯国家だから中国、韓国に配慮しなければならないといった、いつも変わらない”朝日節”ばかりだ。
朝日は「ポルノ新聞」。
私はなぜまともな記者や編集者が、あのような紙面をつくるのだろうかと思い悩んでいた。
そしてある時、答えが閃いた。
朝日新聞は「ポルノ新聞」なのだ。
朝日新聞の記者や編集幹部は同じように、勤務中は煽情的なポルノ記事を書かなければならない。
戦前、戦中は読者の戦意を高揚すべく勤しんだ。
そのおかげで部数は伸びたが、戦争が終わると朝日新聞社は二人がA級戦犯容疑者として投獄された。
主筆、副社長だった緒方竹虎氏と、副社長のあとにNHK会長、内閣情報局総裁だった下村海南氏だ。
むろん、私にとって東京裁判は戦勝国によるおぞましい私刑だったが、朝日は東京裁判の正当性を認めている。
日本は独立を回復するのに当たって、東京裁判の判決を執行することを受け入れざるをえなかったが、裁判そのものは認めていない。
日本だけに戦争責任を問うことはできないが、朝日は「それでも、日本はこの裁判を受け入れ、平和国家としての一歩を踏み出したことを忘れてはならない」という。
朝日新聞は先の戦争中には、「神州不滅」「一億総特攻」を叫んで、大和魂さえあれば勝てると説いたが、いまのような「日本国憲法さえあれば、日本は不滅だ」という精神論は、戦前と少しも変わっていない。
戦後はこれまで見たとおり、時にマルキシズムにかぶれて高揚感たっぷりの記事で読者の劣情を煽り、いまに至っては憲法を擬人化した絵本などを引用して「憲法くんがいなくなってもいい、ということなのでしょうか」と護憲派の欲情に訴える。
そこには理性も論理もない。
剥き出しの本能を煽情し、刺激して売り上げを得ようということなのだ。
朝日新聞が売国的だといって憤っている人々がいるが、ポルノ新聞だと思えば怒ることなどできないだろう。
*具眼の士は皆、爆笑しているはずである。