円山公園という誤解――解けた先に残っていたもの

長年、誤った先入観を抱いていた円山公園。その誤解は知恩院を起点とする歩行体験によってほぼ解けたが、なお気づいていなかった「神髄」がそこには存在していた。

2016-02-09

以前は、円山公園に行きたいとは全く思わなかった。
十九歳の地図の永山則夫が警備員を殺害した場所で、京都では、いかがわしく、雑然とした場所だと、これ以上ないほどに誤解していたのである。
だが円山公園は、最高の別荘地の一つでもあり、七代小川治兵衛(植治)の代表作の一つでもある。
その円山公園に対する誤解が、最初に解けたのは、かなり前に知恩院を訪れた時だった。
隣に在る事を知って驚き、入って行った時に、それまでの誤解は解けた。
それでも当時は、八坂神社から続く雑多な感じを、完全には消せなかった。
だが、知恩院から円山公園、高台寺、二年坂、清水寺へと歩き出して、誤解はほぼ解けていた。
だが、その神髄には、まだ気づいていなかった。

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