「ぶれる・ぶれない」という欺瞞――昨夜のテレビ朝日の致命的な劣化
市場の現実を無視した「ぶれる・ぶれない」という言説の空虚さ。資本主義の実相を知る者の視点から見た、昨夜のテレビ朝日の報道は、許し難いほどに悪辣だった。
2016-02-10
民主党政権が誕生する前後、日本では、メディアが政治家を批判する際に、「発言がぶれるか、ぶれないか」と言及していた。
仕方なく、こうして発信する事を選択した時、私は、「文明のターンテーブル」を世界に発信するにあたり、自分に欠けていたものとして、資本主義の根幹である、不動産、銀行、株式市場へのウォッチングを開始した。
毎日、市場に流れる情報は、A4で二十枚を優に超えていた。
私は登場するなり書いた。
ぶれる、ぶれないなどという言葉は、市場関係者には何の意味もない、と。
なぜなら、市場関係者の発言とは、大ブレそのものだからである。
朝に言っていたことは、午後には180度変わる。
それが二十世紀型資本主義の市場だった。
昨夜のテレビ朝日の何が酷かったと言えば、これは、もう許し難い悪辣と言うしかないほどのものだったのである。
この稿続く。