本当の意味での花鳥風月が存在しなかった国— 似非思想と対極にある世界 —

京都で十年以上にわたり花鳥風月を撮り続けてきた筆者が、西洋と中華圏に欠落してきた精神文化としての花鳥風月を論じる。似非モラリズムや似非マルキシズム、虚偽と悪意の世界と対極にある自然との共生こそが、日本文化の核心であることを明らかにする随想。

2017-03-11

特に冬枯れの季節、私は京都で野鳥を撮っている。
私が訪れる至る所で、野鳥たちが私の前に現れると言っても過言ではない。
友人は私のことを、鳥を呼ぶ人と言うが。
言うまでもなく、野鳥たちは似非モラリズムや似非マルキシズムとは全く無縁の世界を生きている。
私が今、ここで世界に告げる事こそ、本当にノーベル賞に値する解明である。
私は、この十年間、京都を我が家の庭として花鳥風月を撮り続けて来た。
花鳥風月の世界に生きて来たのである。
それは何故か。
花鳥風月こそは、似非モラリズムや似非マルキシズム、底知れぬ悪やまことしやかな嘘の世界とは、峻厳に対極に在る世界だからである。
西洋が野蛮人の集まりであり、中華圏が底知れぬ悪とまことしやかな嘘に満ちた世界であるのは、これらの国々が、金を得る事と腹黒く生きる事だけで生きて来た国だからである。
本当の意味での花鳥風月が存在しなかった国。
厳しく言えば、どんなことをしてでも金儲けをする根性はあっても、花鳥風月の文化は存在しなかったのである。

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