真剣勝負の言葉が身体を削るとき— 病後に知った言論の重さ —
東証の空売り責任者および社長へ直接伝達した発言の重みを、病後の身体で痛感した体験を記す。言葉が「真剣勝負」となる瞬間、集中力と体力を極限まで消耗する現実と、日本を守る覚悟を描く。
2016-02-16
私は今日、昨日世界に発信した内容を、件の社長に代わって、東証の空売り担当の責任者たちだけでなく、現在の社長にも伝わるように伝えた。
話している最中に、自分が大病を患った後であることを痛感した。
昨日書いたことを話すことは、武士が真剣勝負を行うに等しい作業である。
病前なら機関銃のように話せたが、今回は身体にこたえ、健康への不安を覚えた。
穏やかに話していても、内容は極めて厳粛だった。
命がけだと感じ、二度、小休止を取った。
真剣勝負には究極の集中力が要ると実感し、非常に疲れた。
一世一代の勝負は、健康上の危険を感じるほど消耗する。
それでも結論には到達した。
私は伊達正宗、否、信長の末裔として、日本を守るために話していた。
日本国民の幸福を破壊しようとする悪に立ち向かっていた。
その最中、件の社長から電話があった。
同席していた東証の担当者も即座に認識していた。
この稿続く。