嵐山で聞いた一言――私の本が、確かに誰かに届いていた
嵐山の小さなレストランで思いがけず掛けられた「御本、買って読んでいますよ」という一言。それは、かつて出版妨害と中傷に傷ついた著者にとって、忘れかけていた本の声を取り戻す瞬間だった。書くこと、言葉が届くことの意味を静かに描く。
2016-02-17
昨日は良い天気だったから、友人と我が家の庭である嵐山に向かった。
着いた時間が丁度お昼時だったので、真っ先に、先日言及した、とても美味しいスパゲッティとパンを食べさせてくれるレストランに直行した。
この日はスパゲッティを大盛で。
友人は店に置いてある京都を紹介している雑誌の特集号を読み、私は車中から読んでいた月刊誌「正論」を読んで待った。
いつものようにとても美味しい食事で大満足してレジに立った。
先日、近所の人たちが、身体障害者の人たちが健常者と全く同じ生活を送ることを目的に始めた店だと聞いて驚き、私が英文で書いた店の章をチェックしていた時だったので、そのまま見せたところ、ちゃんと英語が分かるご婦人だった。
流石、京都だなと思った。
昨日、レジに立って驚いたのである。
「御本、買って読んでいますよ。」
私は満腹で気持ち良い状態だったから、一瞬、鳩に豆鉄砲のような気分になったが、すぐに事態を理解し、自然に心からのお礼が出た。
何て気持ちの良い嵐山の始まりだろう。
同時に、ずっと忘れていた、私の本が被った災難のことを思い出した。
私の「文明のターンテーブル」は、一定数は必ず売れるという確信が、私にも、オファーしてくれた出版社二社にもあった。
だが、信じがたい悪事を働いた男が、私が大病で入院していた病室から、出版決定の告知が出た途端に動き出した。
彼はネット会社を経営し、HP制作部門も持つ人間で、本のタイトルと私のペンネームを検索すると、1ページから10ページ以上にわたり、約20のハンドルネームで作ったブログで、愚劣で下劣な言葉を並べ、私と私の本に関するページを埋め尽くした。
退院後に向かった弁護士はネット案件を嫌う人だったが、見た瞬間に、これは酷いと言い、業務妨害罪、誣告罪、名誉毀損など四つ以上の罪名を挙げ、すぐに刑事告訴へと向かわせた。
検察庁に上がるまでに一年半かかったが、当時はネット犯罪への認識が低く、刑務所に送ることはできなかった。
出版社と私と私の本は、本当に深く傷ついた。
忘れるしかなかったから、忘れていたのである。
私は、私の本からの声を、初めて聞いた気がした。
そのご婦人に心から感謝したことは言うまでもない。
私の本のためにも、私の言葉のためにも、本当に嬉しかったのである。