永観堂、11月23日 — 一日の終わりに辿り着いた、必然としての一景 —
2025年11月23日、京都・永観堂。
この日は六か所目、最後の撮影地だった。
一日を通して歩き、撮り続けた終盤だからこそ、視線は研ぎ澄まされ、光と影、紅葉の階調、空気の密度が正確に写し取られている。
紅葉の最盛期直前という一瞬の条件と、ラルフ・ヴォーン=ウィリアムズ《トマス・タリスの主題による幻想曲》が重なり合った、静かな到達点の記録。
2025年11月23日、永観堂。
この日は、私にとって六か所目、最後の撮影地だった。 すでに一日中歩き、撮り続けた終盤。 体力も集中力も、残っているとは言い難い状態だったはずである。
だが、結果はまったく逆だった。
一日の終わりに辿り着いたからこそ、 視線は研ぎ澄まされ、 光と闇、赤と影、そして空気の密度だけが、正確に写り込んでいる。
撮影中は、ここまでの完成度になるとは思っていなかった。
しかし、こうして大画面で見返すと、この日の永観堂が **「最後に置かれるべくして置かれた場所」**であったことが、はっきり分かる。
紅葉の頂点に一歩届かない時期。
だからこそ残されていた色の階調と、張り詰めた空気。
それらが、この映像には、確かに刻まれている。
本作に添えた音楽は、 ラルフ・ヴォーン=ウィリアムズ 《トマス・タリスの主題による幻想曲》。
永観堂という空間と、静かに、しかし深く重なり合う響きである。
この作品は、 「見せるための永観堂」ではなく、 佇む永観堂に出会った記録だ。
静かに、ぜひ最後までご覧いただきたい。