ノーベル賞の濫用と「外圧」戦術

憲法九条ノーベル平和賞運動の実態を検証し、推薦手続きの誤解や報道の誇張、そして国内議論を封じるためにノーベル賞という権威を「外圧」として利用する構図を明らかにする。

2016-02-24

以下は前章の続きである。
題字以外の文中強調は私である。
その過程では、「憲法九条の推薦がノーベル委員会に公式に受理された」とか、「憲法九条は最終候補に残った」などという、いかにも希望的な『朝日新聞』などの報道があった。
だが現実には、ノーベル委員会は規定の手続きに沿った推薦はすべて自動的に受理する方針であり、二〇一四年も二月までに合計二七八件の推薦受理が公表されていた。
最終候補に残ったという情報は、単なる推測にすぎない。
ノーベル委員会自体が、授賞の検討過程はいっさい明かさず、外部に流れた情報はすべて推測にすぎないと声明している。
今年も日本では、二月一日の締め切りを目指して推薦作業が進められた。
同実行委員会は、今年も三年連続で「戦争放棄を定める憲法九条を保持している日本国民」を推薦対象としたと発表した。
だが関係筋は、ノーベル委員会側が当初、「日本国民」という表現を、日本国民全体ではなく、特定の団体名だと誤解した可能性を明かしている。
この点が推測であったとしても、一国の国民全体を候補として推薦すること自体の奇異さを物語っている。
いずれにせよ、実態は日本側で宣言され、報道されるような「憲法九条にノーベル平和賞を」という話ではない。
繰り返すが、憲法そのものは賞の対象にはならない。
それにもかかわらず、日本国民全体が憲法九条の保持に賛成してきたかのように公言することは、不正確であり、不遜を極める。
現行憲法に不満を持つ日本国民は、戦後一貫して存在してきた。
近年では、憲法改正を求める国民が着実に増えていることは、世論調査が明確に示している。
したがって、同実行委員会や日本共産党、『朝日新聞』が推進するノーベル平和賞獲得運動には、大きな欺瞞がある。
そもそもこの運動は、主権国家の国民が自国の憲法を考える際に守るべき基本原則を踏みにじっている。
憲法のあり方は、日本国民が国内で議論すべき問題である。
だが、いまの日本でのノーベル賞濫用勢力は、自己の主張を実現するために「外圧」を利用しようとしている。
ノーベル平和賞という権威を政治目的の道具として使い、憲法改正の動きを阻もうとしているのである。
この稿続く。

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