「遺言」という言葉の重み— 慰安婦論議に欠落した「恥」と「男の視点」—

渡部昇一と日下公人の対談集『日本人への遺言』を通じ、慰安婦問題報道における致命的欠落、朝日新聞報道の構造的問題、そして国際的虚構が形成された過程を明らかにする。

2016-02-25

以下に紹介する渡部昇一さんと日下公人さんの対談集『日本人への遺言』徳間書店は、日本国民全員にとって必読の書である。
なぜなら、お二人が「遺言」という言葉をタイトルに用いたのは、決して伊達ではないからである。
題字以外の文中強調は私である。
それにもかかわらず、日本軍は二十万人のコリア人女性を「セックス・スレイブ」として強制連行したと書き続けた新聞は、何度言っても許せない。
一九九五年、村山富市内閣のもとで設立された「アジア女性基金」は、まさに国辱であった。
同基金が慰安婦問題に関する英文パンフレットを世界中にばらまき、その中で「セックス・スレイブ」という言葉を用いたとき、私は即座にそれは許されないと書いた。
「スレイブ=奴隷」という言葉は、五十年ほど前までアジア各地に実在していたため、日本も同じだったと誤解されてしまう。
しかし日本には、千年前にさかのぼってもそのような制度は存在しなかった。
朝日新聞は、そうした事実には目を向けず、日本の悪口ばかりを探し続けてきた。
「慰安婦の強制連行」というテーマで日本軍を糾弾し続けた植村隆という元記者には、よほど意図するところがあったのだろう。
彼の虚報は韓国の新聞に転載され、一挙に慰安婦問題は国際問題化した。
朝日新聞が書けば、韓国側は勢いづき、日本政府への抗議が始まる。
その結果、「従軍慰安婦」という怪物が作り上げられたのである。
彼には「日本人の恥」という観念が欠落しているのではないか。
朝日新聞を辞めた後、彼は日本を離れ、韓国の大学に迎えられることになった。
それは、自らの立ち位置を明確にしたということだろう。
この稿続く。

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