私の人生と日本――恩を仇で返され続けた軌跡
日本の戦後史と自身の人生が、同じ構造――恩を仇で返される経験――によって貫かれていたことに気づいた瞬間を描く。日本を否定する知識人への根源的批判と、美しい日本を肯定する立場からの個人的断罪を通じて、国家と個人の運命を重ね合わせる。
2016-03-04
私の人生も日本と全く同じだった事に気づいた。
何故なら、私の人生は、恩を仇で返してくる人間が、節目、節目に現れた人生でもあったからだ。
そういう面ではたまらない戦後であり人生である。
世界で最も素晴らしく、かつ美しい国と言っても全く過言ではない国である日本に生まれた恩を仇で返しているのが、いわゆる知識人たちである。
私が裸一貫から実業家の人生を歩んでいた時、ノーベル賞を受賞した大江健三郎は、彼の前に受賞した孤高の作家であった川端康成のノーベル賞受賞演説だった「美しい日本と私」に対して、私は美しい日本と言う部分には頷けない(否定する)と言った事を、確か、高山正之は教えてくれた。
今、私は思うのである。
ならば大江は、一体、どこの国を美しい国だと思っていたのだろうか。
私が、今、大江に対しては、誰よりも厳しい批判者であることは、読者はご存知の通りである。
簡単に言えば、日本を否定した彼に対して、私は、彼を否定して答える。
あなたが、例えば京都の花鳥風月の美しさに匹敵できることなど、毛髪ほどもない。
つまり、あなたは、日本が輩出して来た、無数の偉人達から見れば、日本にとって、一体、何だったのか。
この稿続く。