卞准教授の出自と周辺人脈が示す北朝鮮との深い結節点
卞准教授の国籍変更の経緯、母親の朝鮮総連系活動、科協との関係、研究助成金の出所、そして義父の正体までを丹念に追い、北朝鮮の核ミサイル開発との構造的な繋がりを浮き彫りにする。
卞准教授も幼い頃は朝鮮籍だった筈だが、いつの頃か韓国籍に変えている。
2017-04-26
NPO法人『アリランの家』は、在日コリアンの老人の為に訪問介護やデイサービスを提供する福祉施設で、2003年にオープン。
卞准教授の母は事務局長に就任した。
彼女はまた、同胞高齢者の親睦と交流を行う『川崎高麗長寿会』の事務局長も務めており、朝鮮総連系の人権セミナーで積極的に発言する等、バリバリの活動家だ。
卞准教授は、こういう母親の下に生まれたのである。
筆者は、卞准教授が育った川崎市幸区にある実家を訪ねてみた。
付近は小さな家が軒を連ねる一角で、借家だというその平屋の家は僅か16坪ほどだが、改装したのか小奇麗になっている。
表札は卞准教授の母親の名前である。インターホンを押したが応答が無い。近所で聞いてみると、母親は「何年か前に特別養護老人ホームに入所した」といい、留守宅には休日になると卞准教授が時折訪れるらしい。幼い頃の卞准教授は“優秀なお子さん”として評判だったらしいが、近隣の日本人とは殆ど付き合いが無く、両親・哲浩少年とも挨拶程度の仲だったという。
父親は、定時に出て定時に帰ってくる仕事だったようだが、何をしていたのかはわからない。
卞准教授には妹がいて、留学先のアメリカに留まったままだという。
母親は今でも朝鮮籍だろうという。
卞准教授も幼い頃は朝鮮籍だった筈だが、いつの頃か韓国籍に変えている。
「韓国籍のほうが海外に渡航し易い」という指摘がある。
日本の公安関係者から“北朝鮮の核ミサイル開発を支えてきたスパイ集団”とまで見做される科協に所属していること、両親とも朝鮮総連の活動家で少なくとも母親は朝鮮総連べったりで日本社会に批判的であること、卞准教授も朝鮮学校育ちで恐らく幼い頃は日本人とはあまり交流が無かったことを考え合わせれば、北朝鮮との強い繋がりがあるのは当然だろう。
更に、こんな事実がある。「卞は、特例財団法人“金萬有科学振興会”(現在の『成和記念財団』)から、1997年度と1999年度の2度に亘り、専門の原子炉物理関連の研究論文で、研究奨励金を其々70万円受け取っています」(『アジア調査機構』の加藤健代表)。
この財団は、東京都内で病院を経営していた在日朝鮮人の金萬有医師が、在日の研究者の研究助成を目的に1977年に設立した。
金医師は、1986年に22億円の資金を投じ、平壌に病院を設立する等、北との関係が深い。
尚、徐錫洪・徐判道・李栄篤も、過去に同財団の助成を受けている。
だが、北との関係はそれだけではなかったのだ。
卞准教授の身辺を洗うと、驚くべき事実が判明した。
彼は1998年11月、同じ在日の女性と結婚している。
当初は実験所に近い泉佐野市のマンションに住んでいたが、後に神戸市灘区に移っている。
筆者はこの住所に出かけてみたが、六甲山が迫る神戸の一等地に建つ50坪の敷地の豪邸である。
近所の不動産屋に聞くと、「坪150万円は下らないだろう」という。鉄筋2階建てで、地下には2台分のスペースのビルトインのガレージがある。
この住所の登記簿を見ると、家が建てられたのは2001年1月である。
但し、卞准教授だけの所有ではなく、妻と妻の両親の4人の共同所有である。それが何ともややこしい。
例えば、建物1階部分は、妻の父が5分の4、妻の母が5分の1、建物2階部分は卞准教授とその妻が其々2分の1ずつ、建物地下は、妻の両親・卞准教授・妻が其々4分の1ずつの所有となっている。
土地については、妻の父が5分の4、妻の母が5分の1の所有権を持つ。
建設するに当たって、娘婿の卞准教授も資金の一部を出したかもしれないが、事実上、この家を建てたのは妻の父だろう。
卞准教授の父に当たる男は曺廷楽という。
一部ではよく知られた名前である。
何故なら、『洛東江』という北朝鮮直属の秘密工作機関の親玉だったからだ。