北朝鮮への引揚計画と帰還者の実数

戦後に策定された北朝鮮への引揚計画では約1万人が応募したが、実際に帰還したのはわずか350人だった。帰還実態と、日本残留が自発的選択であった事実を示す政府資料を検証する。

2017-05-03 11:16:26
以下は前章の続きである。
(3)なお、1946年3月の米ソ協定に基づき、1947年3月連合国最高司令官の指令により、北朝鮮への引揚計画がたてられ、約1万人が申し込んだが、実際に北朝鮮へ帰還したものは350人にすぎなかった。
(4)朝鮮戦争中は朝鮮の南北いずれの地域への帰還も行わなかったが、休戦成立後南鮮へは常時便船があるようになったので、1958年末までに数千人が南鮮へ引揚げた。
北鮮へは直接の便船は依然としてないが、香港経由等で数十人が、自からの費用で、便船を見つけて、北鮮へ引揚げたのではないかと思われる。
こうして朝鮮へ引揚げずに、自からの意思で日本に残ったものの大部分は早くから日本に来住して生活基盤を築いていた者であった。
戦時中に渡来した労務者や復員軍人、軍属などは日本内地になじみが少ないだけに、終戦後日本に残ったものは極めて少数である。
この稿続く。

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