東京はあるが、京都がない――朝日と日経に欠落した国家の志

朝日新聞と日経新聞の論調からは、日本を大きくし強くしようとする意志が決定的に欠落している。一方で、日本を矮小化する意図は明確であり、その結果として東証の歪みと30年に及ぶデフレが生まれた。本稿は「東京と京都」という象徴的対比を通じて、日本精神の不在を鋭く指摘する。

2016-03-15
最近になって私はやっと気が付いた。
朝日新聞や日経新聞を読んでいて分かることは、
彼らの思考には、日本を大きくしたい、強くしたいという考えや気持ち、或は意思、或は志と言ったものが全くないと言う事である。
その反対に、韓国や中国の代理人たちの意向通りに、日本を矮小化したい、日本を虐げたいという意図はいやというほど在るのである。
流石に日経新聞は朝日新聞のようには韓国や中国の意向通りには動かない、或は、それらの国の顔色を窺うような論説は行う事は少ないとしよう。
だが米国や、国際社会の意向のようなことは書くが、自分の国を大きくしよう、強くしようという意思は全く感じられない。
日本が今でも実質的には米国に次ぐ超大国であると言う認識を、そもそも持っていないと言っても過言ではない。
だから、現在の東証の態様がある。
だから過去30年の日本、今、世界中の全ての国が蛇蝎の如くに忌み嫌っている、日本の30年に渡る長期間のデフレを作ってきたのである。
自分たちの国を大きくしたい、強くしたいと言う、世界中の全ての国が持っていると言っても過言ではない気概が朝日と日経には無いのである。
約2,000年前から、日本人が持ち続けてきた雄々しい魂が彼等にはないのである。
もっと簡単に言えば、彼等には東京は在るが、京都が全くないのである。

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