「しかしあの戦争は、日本が食えなくなったから始めた」— 植民地支配と戦争責任をめぐる不都合な現実 —
週刊新潮ゴールデンウィーク特集において、高山正之は日本が戦争に踏み切った真の背景と、西欧列強の植民地支配の実態を描き出す。蘭領東インドの事例を通じ、「侵略」一色で語られる歴史像に根本的な疑義を突きつける。
2017-05-06
週刊新潮ゴールデンウィーク特集でも高山正之は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストとしての真骨頂を発揮している。
この週刊誌の掉尾を飾る彼の名物コラムからである。
ハーフカス哀歌。
先の大戦は日本の英米への宣戦布告で始まった。
そうしたらオレも日本嫌いの白人国家だとオランダが宣戦布告してきた。
オランダ領東インドにはパレンバンとかバリクパパンとか大油田がある。
産出量は日本の年間消費量を補ってなお余りあった。
日本はシンガポールとフィリピンを落とした後、オランダと石油買い取り交渉をするつもりだった。
それが向こうから宣戦布告してきた。
好都合というか、交渉の手間は省けた。
で、シンガポール攻略のめどがつくとすぐ蘭領東インドへ侵攻を開始した。
蘭軍8万はバンドン要塞に籠っていた。
英はインド人を、米はフィリピン人を前衛に使ったが、オランダ人は現地人を400年間も残忍に扱ってきた。
それが祟って開戦するや「現地人兵卒はみな逃げた」。
(R・ガウスブルック『西欧の植民地喪失と日本』)。
要塞に残ったのは白人だけだった。
日本軍が攻撃を始めると彼らはすぐに手を上げた。
彼らは30年前の青島攻略戦で捕虜になったドイツ兵が優雅な収容所生活を送ったのを知っていた。
俺たちも同じように大事にしてもらおうか。
しかしあの戦争は日本が追い詰められ、食えなくなったから始めた。
勝手に宣戦し、碌に戦いもせず、さあ8万人を優雅に食わしてくれとは虫が良すぎないか。
しかも扶養対象は彼らだけではなかった。
在蘭印の4万オランダ市民もいた。
日本軍は現地人を教育して彼らの面倒を見させた。
「我々が酷く虐めてきた現地人は碌な食事も与えずに我々を働かせた」。
日本軍将兵は乱暴だがまだ良識的だった。
「規律違反するとシャワーを何日か禁じた。日本人は我々が風呂に入る習慣のないことも知らず、懲罰になると信じていた」。
この稿続く。